第2代の綏靖天皇から第9代の開化天皇までは『古事記』『日本書紀』ともに系譜記事のみで、物語的な記事がほぼありません。これを欠史八代と呼び、古代の謎とされていますが、これは日本神話と結び付けて考えることで理解出来そうに思います。
即ち、ここには神武を祖先とする崇神天皇までの10代が一豪族から天皇(大王)に上りつめるまでの過程が詳しく書かれていたが、その過程を隠し、当初から神の子孫として列島を支配していたという神話を前に置いたと考えられるのです。
神武という人物は前漢の劉邦のような、出自のよく分からない人物だったかもしれません。これは一つの考え方ですが、崇神天皇の初期の疫病大流行で語り部たちが全滅し、過去が分からなくなった可能性もあります。
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日本の「戦後」は76年にわたって続いています。戦前の日本は戦争ばかりしていた国ですが、それは全くなくなりました。戦後は日本に代わってアメリカが戦争ばかりする国になりました。同時多発テロでアフガニスタンに攻め込んだアメリカ軍も結局、撤退を余儀なくされました。
日本の自衛隊はアメリカ軍の現地人部隊です。これはたとえ話ではなく、実際に戦争が起きた時には自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入るという説があります。そのときは日本が完全なアメリカの属国であることが誰の目にも明らかになります。
戦後の日本人を呪縛する歴史的条件は、第二次世界大戦の敗戦国であるということです。戦後日本がどのような形で終わるのか、軽々しく予想は出来ませんが、やはり歴史を学んで考えることが必要なことは確かです。
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昭和の戦争を研究された半藤一利氏は、かの悪名高い「統帥権の独立」について興味深い分析をしています。昭和天皇は「天皇陛下」と「大元帥陛下」を使い分けていたと言うのです。
最初の神風特攻隊の報告を受けたとき、昭和天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかしながら、よくやった」と発言したそうです。この発言の前半部分は天皇陛下としての発言であり、後半部分は大元帥陛下としての発言と言えます。
神武天皇の実在には疑問もありますが、やはり神武天皇には軍事指導者としての面が強かったと言えるでしょう。私が考えるように神武天皇の原像が後漢に朝貢した倭国王帥升(または師升)だとすれば、「帥」も「師」も軍事色の強い漢字であり、『日本書紀』の神武天皇紀に頻出することがその裏付けになると思われます。
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