暑い夏になると、やはり終戦(敗戦)の夏が思われます。私は直接経験したわけではありませんが。
連合国が日本に呼びかけた「ポツダム宣言」を読み返してみると、その残虐性に驚かされます。日本民族の絶滅や奴隷化を求めるものではないと言っていますが、無条件降伏以外の日本の選択は完全かつ迅速な壊滅あるのみだと脅迫して終わっているのです。
これは脅迫ではなく、アメリカは本気で日本民族の皆殺しを考えていたと思います。広島、長崎だけでなく、京都や新潟を含めて数十発の原爆を落とすつもりでいました。
京都は原爆の目標に入っていたため、B29による通常の爆撃は禁じられていましたが、戦後は「アメリカは日本文化を尊重したから京都を爆撃しなかった」という新たな神話が作られ、これを多くの日本人が信じました。おめでたい話ですね。
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第3代安寧天皇は磯城津彦玉手看(しきつひこたまてみ)天皇という名前で、その第3皇子は磯城津彦(しきつひこ)命といいます。これはとても不思議な名前です。何故ならば磯城彦(しきひこ)とは、神武天皇が東征で攻めた兄磯城(えしき)弟磯城(おとしき)を合わせた名前だからです。『日本書紀』では兄磯城だけが滅ぼされ、弟磯城は帰順して磯城県主に任命されたことになっていますが『古事記』では兄師木・弟師木ともに討たれています。
『日本書紀』では兄磯城の軍が磐余邑に満ちていたともあり、この「磐余」は神武天皇の名前「磐余彦」とも関係があります。磐余の地の旧名は片居または片立といったとも書かれており、この名前は安寧天皇が都した「片塩」を思わせます。多くの謎がありそうに思われます。
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卑弥呼については、このブログではあまり取り上げてきませんでしたが、助けて国を治めていたという「男弟」について。
「男弟」とは不思議な言葉で、弟なら男に決まっていると思うと昔はそうではなく、『古事記』でも「弟」と書いて「いろど」と読み、妹を表している例があります。しかし『三国志』で「男弟」が使われたのは他に一ヵ所しかなく、大変珍しいようです。
一方『日本書紀』全30巻で「男弟」はたった一度しか使われていません。それは第4代・懿徳天皇の皇后・天豊津媛について、ある書物では磯城県主葉江の「男弟」猪手の娘・泉媛となっていると記した箇所です。これを見ると葉江さんは女性であったと思われ、卑弥呼の可能性もあります。後継者の台与は天豊津媛か、第5代・孝昭天皇の皇后の母として出てくる「倭国の豊秋狭太媛」かもしれません。
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