星座の話が出たので、今日は脱線して宮沢賢治の『星めぐりの歌』を取り上げてみます。
これは文学であって科学の論文ではないので、たとえば初めの「あかいめだまのさそり」が目玉でなくて心臓だとか、文句をつけても仕方がないでしょう。「あおいめだまのこいぬ」も、恐らく小犬座のプロキオンでなく大犬座のシリウスだと思われますが、「おおいぬ」だと音数が合わないので「こいぬ」にしたのでしょうね。
「ひかりのへびのとぐろ」は、ユーチューブで見ると「へび座」が出てきて、ウィキペディアでは「りゅう座」としていますが、そんな地味な星座でしょうか。私は銀河(天の川)と解釈したいと思います。川の流れはしばしば蛇にたとえられますし、銀河が全天を一周しているのはとぐろを巻いている「光の蛇」のようです。
アンドロメダの雲(アンドロメダ銀河)をどう見れば「さかなのくちのかたち」になるのかと、悩む必要はありません。アンドロメダ座は秋の星座ですが、秋の唯一の一等星「みなみのうお座」のフォーマルハウトの名前はアラビア語で「魚の口」の意味です。賢治は秋を代表する星と星座を並べただけで、「かたち」に特に意味はないと考えます。
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滝の下で飯沼勲に会った本多繁邦は、勲が松枝清顕の転生であろうと思いながらも、まだ確信が持てないでいました。そんな中、飯沼茂之の誘いで山梨県に出かけた本多は、また不思議な体験をします。
そこで行われた錬成会で先生に叱られた勲は猟銃を持って山に入り、雉を撃ち落としてしまいます。追いかけた茂之と本多たちは帰ってくる勲と出会いました。茂之は勲の頭上で幣を振り、勲に言いました。
「お前は荒ぶる神だ。それにちがいない」
それは19年前、清顕の夢日記に書かれた光景そのままでした。清顕は1913年の夏、本多とシャム(タイ)の王子二人、合計四人で鎌倉の別荘で夏休みを過ごしながら、聡子との禁断の恋を続けていました。
三島由紀夫は『春の雪』は和魂(にぎみたま)、『奔馬』は荒魂(あらみたま)だと解説しましたが、この夏の清顕の心は荒魂に近かったように思われます。
この夢を見る前の章で、清顕たち四人は夏の星座を見上げています。「本多が知っている星の名は少なかったが、それでも銀河をさしはさむ牽牛織女や(中略)白鳥座の北十字星はすぐ見分けられた」
牽牛付近は西洋の星座では鷲座、織女付近は琴座ですが、アラビア人は牽牛と織女を戦う二羽の鷲と見て、牽牛を真ん中に一直線に並ぶ三星は戦いに勝って飛ぶ鷲(アルタイル)、織女を真ん中にした三角形は敗れて落ちる鷲(ヴェガ)と見ました。清顕の中ではこのヴェガ=織女が聡子と重なっていたかもしれません。
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『春の雪』の主人公、松枝清顕が書き残す「夢日記」は親友の本多繁邦が譲り受け、『天人五衰』で本多の養子・透に燃やされるまで転生の謎を解く鍵となります。その中に、清顕が自分の柩(ひつぎ)を見る夢があります。
『春の雪』二に出てくるこの夢を、本多は『奔馬』二で思い出します。「清顕の横たわる白木の柩が置かれ、それを彼自身の霊が中空に漂って見下ろしている(ただし『春の雪』によると、柩は釘付けられて中は見えない)」夢は一年半後に実現しましたが、「柩に縋(すが)って歔欷(きょき)していた富士額の女」(聡子?)は、清顕の葬儀に現れませんでした。
『天人五衰』で久松慶子が本多透に転生の秘密を教える場面で、慶子は透に清顕の夢日記を読むように勧め、そこに書かれた夢はみんな実現された、と言います。もちろん本多から聞いたのでしょうが、本多は柩の夢も当たったと考えていたのでしょうか。
清顕は自分が次に転生する飯沼勲の柩と、それにすがって泣く鬼頭槇子を夢に見たのではないかと思われます。槇子は勲の出所祝いには来ませんでしたが、葬儀には確実に来たでしょう(恐らく内心喜んで)。勲の死を悼む美しい挽歌を詠み、歌碑さえ建てたかもしれません。
槇子はその後、1948年に勲の十五年祭で本多と再会し、交遊を復活することになります。
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