『暁の寺』は転生者が外国人女性で内面が描かれず、本多繁邦が主人公のような扱いになっている点で『豊饒の海』の中では特異です。また第一部と第二部に分けられ、第一部で転生者の幼い頃が描かれているのも他の巻とは違っています。
『奔馬』の飯沼勲や『天人五衰』の安永透はどうだったのでしょうか。少なくともジン・ジャンのように自分の前世を親や周囲に告げて困らせるようなことは無かったと考えられます。勲は成長後は完全に忘れており、洞院宮に謁見するときも父の飯沼茂之が何故怒るのか理解できません。透については、『天人五衰』十四に気になる文章があります。
「透は、ふとして、この微笑を父親からでも母親からでもない、幼時にどこかで会った見知らぬ女から受け継いだのではないかと思うことがある」
透はジン・ジャンのように、幼時に前世を覚えていたようです。ジン・ジャンと違ってその記憶は完全には消えず、「前世の記憶」が「幼時の記憶」に変わったように思われます。
松枝清顕も飯沼勲も、死が近づいて来世の夢を見ていることから類推すると、幼い頃は前世を覚えていたかもしれません。(清顕の前世はこの小説をはみ出してしまいますが)ジン・ジャンは分かりませんが、前世を思い出したか、来世で日本にいる自分を夢で見たのではないでしょうか。
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『春の雪』でシャム(タイ)の王子パッタナディド殿下(ジャオ・ピー)が従妹で恋人の月光姫(初代)から贈られたエメラルドの指環は、『豊饒の海』で大きな役割を果たしています。
学習院でジャオ・ピーが指環を紛失するのは、初代月光姫の死の伏線になっているし、『暁の寺』第二部で本多繁邦が指環を見つけ出すのは、二代目の月光姫(ジン・ジャン)が来日する伏線のようです。
御殿場の火事でジン・ジャンが指環を持ち出さなかったのも、二年後の死の伏線と見られます。このとき逃げたのは双生児の姉と思われ、妹のジン・ジャンが指環を無事に持っていたことも考えられますが、こうした全体の流れを見ると、やはり火事で焼けてしまったと見るのが良さそうです。
ところで、二代目のジン・ジャンは本多から指環を贈られて、どう思ったのでしょうか。初代月光姫がエメラルドの指環をジャオ・ピーに贈ったのは、ジャオ・ピーが五月生まれで、その誕生石がエメラルドだったからでした。
ところが二代目のジン・ジャンは1933年12月29日に死んだ飯沼勲の転生ですから、1934年の1月か2月の生まれで、誕生石はガーネットかアメジストです。いくら父のものだったと言われても、ジン・ジャンは戸惑ったのではないでしょうか。しかも指環を贈られたとき、ジン・ジャンは本当にわかって聴いていないようなのです。
本多はやはりタイに行って、指環をジャオ・ピーに直に返すべきであったと、私は思います。
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『飯沼勲も感情の戦場で死んだのか』で私は、勲が佐和から鬼頭槇子の(飯沼茂之への)密告を知らされて驚いたと書きましたが、『奔馬』を読み返して、勲は獄中ですべてを想像していたことを知りました。
三十五で勲は、自分に届けられた槇子の手紙を読んで、槇子が自分の入獄を楽しんでいるのではないかと思い、「俄かに猛って、手紙を破り捨てたいと思うことさえあった」のでした。それなら(事実上の)密告者が槇子であることは論理的に導かれそうですが、勲はそこまで考えまいとします。それでも「叢を掻き分けて行ってついに白骨に出逢うように」「誘蛾燈へいざなわれる蛾が、見まいとしても燈火のほうへ目が向くように」恐ろしいもの、不吉な観念に心が傾きます。釈放後に聞いた佐和の言葉は勲の目を「白骨」「燈火」へ向けさせたのでした。
獄中で勲は心をよそへ向け、志を固めようと、井上哲次郎の『日本陽明学派の哲学』を読み、大塩平八郎中斎の思想に触れます。平八郎の「太虚」の思想は仏教の涅槃(ねはん)に似ており「心すでに太虚に帰すれば、身死すといへども滅びざるものあり。身の死するを恐れず、ただ心の死するを恐るるなり」というものでした。これは勲の暗殺と自刃の伏線であるとともに『暁の寺』『天人五衰』への伏線にもなっていると思われます。
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