「或るお役所で呑気な若い事務官が、台湾バナナの輸入計画の数字を写しまちがえ、0を一つ少なく写してしまいました。尤もこんなまちがいはしょっちゅうあることで、私も役所の事務官時代、小説を書いて寝不足で登庁するものだから、6を9とまちがえたり、8を3とまちがえたり、「もう君の数字は信用ならん」とドヤシつけられました
この事務官の間違いは気付かれないまま閣議まで上り、バナナ好きの別の大臣に間違いを発見され、大臣→局長→課長→事務官と罵倒されることになりました。
三島はここで「人間の意志のはたらかないところで起る小さなまちがいが、やがては人間とその一生を支配するというふしぎ」を語ります。それも面白いですが、「0の恐怖」から別のことを私は考えました。
「0の発見」は数学の最も偉大な発見の一つです。古代ギリシア人も気付かなかった0にインド人は気付き、位取り記数法を発明しました。漢数字やローマ数字は書くだけでも大変ですし、数が大きくなるにつれて無限に多くの数字が必要になります。インド・アラビアの位取り記数法では、十進法なら十個の数字だけでどんな大きな数も表せて、とても便利です。
しかし、便利さには落とし穴もあります。それが三島によって「0の恐怖」と言われているわけです。書類などではアラビア数字を避けてわざわざ漢数字を使ったり、「一、二、三」を「壱、弐、参」と書いたりします。これは落とし穴を避ける工夫です。
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『不道徳教育講座』は昭和33年(1958年)『週刊明星』に連載され、翌年に中央公論社から単行本で刊行されました。その冒頭は「知らない男とでも酒場へ行くべし」という題で、次のような前置きで始まります。
「十八世紀の大小説家井原西鶴の小説に「本朝二十不孝」というものがあります。これは中国の有名な「二十四孝」をもじったもので、よりによった親不孝者の話をならべたものです」
そして「私が流行の道徳教育をもじって、「不道徳教育講座」を開講するのも、西鶴のためしにならったからである」と前置きを結びます。
この初回は私にはつまらなかったのですが、第二回の「教師を内心バカにすべし」は面白く読めました。こんな具合です。
「少年期そのものについては、諸君のほうが先生よりよく知っているのだ。・・かりにもし、諸君の悩みを一緒に本当に悩んでいる先生がいるとしたら、先生自身、大人と少年の矛盾にこんぐらがって、自殺してしまうにちがいありません」
「人生上の問題は、子供も大人も、全く同一単位、同一の力で、自分で解決しなければならぬと覚悟なさい」
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『永すぎた春』は『婦人倶楽部』の1956年1月号から12月号に連載され、単行本は12月25日に講談社から刊行されました。ちなみに『金閣寺』は『新潮』の1956年1月号から10月号に連載されており、同時期の作品ということになります。
三島の小説は章数が5の倍数になっていることが多いのですが、この『永すぎた春』は独特で、January(1月)から December(12月)まで、小説中の時間がそのまま章題となっています。これは『婦人倶楽部』の号数とも対応していると考えられます。主人公の宝部郁雄と木田百子は1月15日に婚約し、クリスマス前に結婚するのですが、単行本の刊行がクリスマスなのも小説の内容と合っています。
『永すぎた春』はよく売れて、タイトルは流行語にもなりました。有名な例では『ゴジラ』主演などで知られる俳優・宝田明とミス・ユニバース世界大会で優勝した児島明子が10年間の交際の後、1966年に結婚して「長すぎた春」と言われたようです。
物分かりの良さそうな、それでいて何も理解していないような郁雄の母、文学青年の戯画のような百子の兄など、興味深い人物が二人を取り巻き、『金閣寺』とは対照的な明るい娯楽小説となっています。
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