重一郎は五千年ぶりの天変について語った後、こう続けます。
「インドあたりじゃ、この日が世界の終りだとさわいでいるらしいが、われわれにとっては、忙しい一家が久しぶりに茶の間に顔を揃えた、というだけのことじゃないかね。しかし、いずれにしろ久々のことだから、私はその日の一家団欒をたのしみにしているんだが・・」
当然ですが、集合する天体の中に太陽が入っているわけですから、太陽以外の天体の光は太陽光に圧倒されて見ることは出来ません。もっともニューギニアでは皆既日食が見られたので、晴れていれば五つの惑星を見ることは出来たでしょう。
同じ理由で、西洋占星術で言う誕生日の星座は、その期間には太陽が通過しているので夜空で見ることは出来ません。自分の誕生日の星座を見たければ、誕生日とは反対の季節になります。もう少し厳密に言うと、たとえば「夏の星座」というのは夏の真夜中ではなく、夏の宵によく見える星座を言うので、誕生日より3~4カ月前が見頃です。明け方に夜空を見る人は少ないでしょうが、明け方なら3~4カ月後によく見えます。
重一郎一家も天体の観察は出来ないことを知っているので、その天変の夜は茶の間でそれぞれの仕事や勉強をしましたが、その団欒は警察官の来訪で終ることになります。
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1962年2月5日、ニューギニアなどで見られた皆既日食に伴う日月五惑星の集合が『美しい星』第四章で出てきます。昨日書いたように日月五惑星が(ケトウも?)「磨羯宮」に集まると重一郎は語りますが、磨羯宮は山羊座のことです。
しかし、西洋占星術では山羊座に太陽が入るのは冬至から大寒までとされ、2月5日は宝瓶宮(水瓶座)の期間に当たります。これは西洋占星術とインド占星術の違いによります。そもそも西洋占星術ではケトウなど出て来ないし、重一郎が続けて「インドあたりじゃ、この日が世界の終りだとさわいでいるらしいが」と語っていることからも、インド占星術に基づく発言であることが分かります。
奇妙ですが、現代天文学では太陽が山羊座に入るのは大寒から雨水の頃で、西洋占星術とは合いません。これは「歳差」のために、古代ギリシア時代と現代では(地球から見た)太陽の動きが違うためです。
独楽(コマ)を回すと、独楽は永久に回り続けることは無く、やがて倒れますが、倒れる前に首を振るような動きをします。実は地球も独楽と同じような首振り運動をしています。これが歳差です。独楽が首を振るのは地球の重力のためですが、地球が首を振るのは太陽と月の重力のためです。この歳差のために、天の(赤道の)北極は黄道の北極のまわりを二万六千年の周期で回っています。古代ギリシアと現代では二千年余りの時間差があり、周期のほぼ十二分の一に当たるため、星座一つ分のズレが生じてしまったのです。
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『美しい星』第四章の初めに面白い記述があります。
「年が改まった。重一郎は近々天界に起るべきいちじるしい現象について語った。
それは科学的に正確な予見であったが、世界中の占星学者の大問題になっていた。来る二月三日から五日にかけて、太陽、月、火星、金星、木星、土星、水星、および見えざる遊星ケトウの八天体が、黄道第十宮の磨羯宮に集まるが、水星を除くこれらの星が同様の配置になったのは、実に四千九百七十四年ぶりのことだというのである」
この文章は明らかにおかしいです。八天体の中に「水星」が入っているのに後の部分で「水星を除く」としているからです。三島は何か勘違いをしているようです。
「見えざる遊星ケトウ」とは、古代インドの天文学者が考えた星で、漢訳では「計都」です。日食は月が太陽を隠す現象であり、月食は月が地球の影に入る現象であることは現代では常識ですが、古代インド人は「ケートゥ」「ラーフ」(漢訳は「羅ゴウ」ゴウは目へんに「侯」)という見えない星が太陽や月を飲み込み、吐き出す現象と考えていました。日月五惑星を合わせて七曜と言い、現代でも使われていますが、昔は計都・羅ゴウを含めて「九曜」と言いました。計都と羅ゴウは、たとえば天の北極と南極のように正反対の位置にあるので、九天体が集まることは決してないとされました。最大でも八天体です。
というわけで、三島は「もう一つの見えざる遊星ラーフを除く」又は「ケトウとラーフのいずれか一方を除く」と書くべきところを間違えたのではないかと考えられます。
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