『金閣寺』で昭和24年の11月、「私」は老師からはっきりと後を継がせる気がないと告げられたのを契機に、寺から出奔します。
出奔にあたって主人公は柏木から三千円を借りますが、柏木は借用証書を作って拇印を押させます。『春の雪』で松枝清顕が最後に出奔するとき、本多繁邦が黙って現金を手渡すのとは対照的です。
出奔した「私」は由良で日本海を前にして「金閣を焼かなければならぬ」という想いに襲われ、旅館の部屋でその想念を追います。
「なぜ私が金閣を焼こうという考えより先に、老師を殺そうという考えに達しなかったのかと自ら問うた。(中略)よし老師を殺しても、あの坊主頭とあの無力の悪とは、次々と数かぎりなく、闇の地平から現われて来るのがわかっていたからである」
『金閣寺』で老師は、実に取るに足りない俗物として描かれています。主人公でなくても、全く殺す意味もないという気になります。
「明治三十年代に国宝に指定された金閣を私が焼けば、それは純粋な破壊、とりかえしのつかない破滅であり、人間の作った美の総量の目方を確実に減らすことになるのである」
金閣が焼かれる半年余り前のことでした。
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