『天人五衰』で本多繁邦が安永透に初めて会う場面で、本多はこんなことを考えます。
「その生涯を通じて、自意識こそは本多の悪だった。この自意識は決して愛することを知らず、自ら手を下さずに大ぜいの人を殺し(中略)自分だけは生き延びようとしてきた」
びっくりする文章です。本多はそんな極悪人でしょうか。考えられることとしては、判事だった頃に死刑判決に関与しただろうというくらいで、それも法律に従っただけのことでしょう。まして弁護士になってからは、人の罪を軽くすることは有っても重くすることは無かったはずです。本多は松枝清顕や飯沼勲を救おうと必死に動いたのではなかったのでしょうか。
しかし、『春の雪』の最後で本多は肺炎に苦しむ清顕を前に後悔します。清顕にお金を渡して月修寺行きを手助けしたのは、本当の友人の行為であったかと。すぐに東京へ連れ帰らずに、自ら月修寺を訪れて門跡に熱弁をふるったことも後悔したかもしれません。
『奔馬』で本多は飯沼勲を弁護するために判事を辞めるという大きな決断をし、勲を釈放させることに成功しました。ところがこれが仇となって、勲は一人で蔵原歩介を暗殺し、切腹することになってしまいました。
『暁の寺』の御殿場の火事は、今西と椿原夫人の心中のように見えます。二人ともお互いに、周りの人間にも自殺願望を隠しませんでした。それでも本多は自殺だとは思わず、久松慶子も同じ考えでした。
推理小説的に読むと、腕時計をしてズボンも穿いている松戸運転手が怪しそうですが、慶子が「今西さんの部屋からだわ」と言っているのを見ると、やはり失火のようです。
本多はこの火事でベナレスを思い出します。「あの聖地で究極のものを見た本多が、どうしてその再現を夢みなかった筈があろうか」
これこそ本多の「悪」だったように思われます。
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