村山孚は『史記の人間学』で司馬遷の『史記』を「人間学の百科事典」と称えていますが、その中から「二面的思考法」(物だけではなく、心だけでもない)を見てみましょう。
『史記』列伝の部はいわば人物の銘々伝だが、その第一巻は、精神主義の権化ともいうべき伯夷と叔斉の伝記である。(中略)その一方で、同じく列伝の末尾にある第六十九巻は、巨万の富をきずいた素封家たちの伝記にあてられており、「人間は生活にゆとりができてこそ、礼義とか名誉とかを知るようになる」と、物質の優位を強調している。
列伝の初めと終わりでこれを対比させたところに、司馬遷の二面思考的な配慮がある。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
『史記』列伝の部はいわば人物の銘々伝だが、その第一巻は、精神主義の権化ともいうべき伯夷と叔斉の伝記である。(中略)その一方で、同じく列伝の末尾にある第六十九巻は、巨万の富をきずいた素封家たちの伝記にあてられており、「人間は生活にゆとりができてこそ、礼義とか名誉とかを知るようになる」と、物質の優位を強調している。
列伝の初めと終わりでこれを対比させたところに、司馬遷の二面思考的な配慮がある。
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コメント
コメント一覧 (12)
capelaurig
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日本の資本主義は、一貫して農村への激しい収奪の上に発展したが、農村再建に基礎を置く大本教の国家改造論は、異端的ファシズムの民衆運動として急速に成長し、ファシズムの制覇に利用されながらも、やがて徹底的な弾圧を受けねばならなかった。大本教の基底にある民衆的性格は、教義として天皇信仰を強調しながらも、天皇制とその神話に対する異質な神話に立つ変革の主張として、支配階級の激しい憎悪の対象となった。
この経験は貴重なものだった。弾圧のおかげで戦争協力の責任も免れた。そういう歴史的な性格を身につけて、戦後の民主勢力の高まりに応ずる事が出来た大本は、初期の積極的な面を生かして平和・友好と民主主義を強調し、原水爆反対や憲法擁護や中立政策の為に広い民主勢力と共に活動できた。
capelaurig
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capelaurig
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この様相が日本/世界にも投影しているようです。
欲の深い連中が今だに、のさばっており何とかしたいです。
筋金入りの信者は減って居ますが、教義だけは守りたいと思ってます。
大本は小乗でなく大乗の宗教です。宗教自体の存続が根本にあると思います。
少子化の中、今後の行く末に危機感を覚えますが、ベストは尽くします。
天国と地獄が引き合いに出されますが、このままでは悪魔が勝利するかもしれません。地球全体の問題でもありますね。
capelaurig
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明治元年一○月二三日に有栖川宮熾仁親王は東征大総督を辞任し、一一月二日に錦旗節刀を奉還し、賜暇《しか》を奏請します。錦旗とは天皇旗といい、禁門の変に旭形亀太郎が孝明天皇から賜った、あるいは預かったもの。トコトン殺れ節の「宮さん宮さん、お馬の前でひらひらするのはなんじゃいな」の「ひらひらするの」は熾仁親王が掲げた錦の御旗・天皇旗を指すが、その旗は祇園《ぎおん》で造らせた偽物であり、本当の錦旗は、旭形亀太郎が預かっていた。旭形亀太郎は孝明天皇の側近。熾仁親王は、仁孝天皇の猶子《ゆうし》〈他人の子供を契約により自分の子供として親子関係を成立させたその子供。明治以前に存在〉であり、和宮親子内親王は、仁孝天皇の皇女。熾仁親王と和宮は兄妹のような関係に当たります。
八木清之助は、和宮家、有栖川宮家に筆の行商などを通し出入りし、勤めたであろう勤王の志士で、王仁三郎聖師の冠句の師 度変窟烏峰宗匠《どへんくつうほうそうしょう》、そして聖師の恋人、八木弁の父。清之助が熾仁親王と上田世祢を結んだのかもしれません。しかし二人の出会いについては、王仁三郎聖師が示している。
capelaurig
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中村孝道は有栖川宮家の侍医であった。それで母が伏見に行っていた時、叔父さんの家に有栖川(熾仁親王)宮様がお寄りになったのである。(昭和十八年)(「王仁と言霊学」『新月の光下巻』)
中村孝道とは、文化・文政の頃の言霊学者であって、京都で産霊舎《むすびのや》を称し、門弟多数を抱えていた。聖師の祖母、旧姓中村宇能の父とされている。
●中村孝道《たかみち》の経歴とは
出口王仁三郎聖師の言霊学は、大石凝眞素美《おおいしごりますみ》(図七)の影響はあったものの、大本言霊学と大日本言霊学の二本立て(用・体)であり、前者は山口志道『水穂伝』をベースとし、後者は祖母・宇能の父、言霊学中興の祖、中村孝道から伝わった「言霊学」としていた。大石凝眞素美は中村孝道の孫弟子。以下『古神道の本』より引用します。
山口志道など多くの縁者が五十音図に依拠したのに対し孝道の言霊学では五十音に濁音・半濁音を加えた七十五声を曼荼羅《まんだら》のように配列した「ますみの鏡」がその根幹に据えられます。これは言霊の曼荼羅であり、最下段のア音がもっとも重い音で、最上段のカ行がもっとも軽い音とされる。中心には「す」が置かれ、この図に示される音の階層秩序は、同時にあらゆる存在の階層秩序とされ、そこからネオプラトニズム的な自然秩序が誘導されていくのである。
また孝道は、七十五声の音を形象化した「水茎文字」の伝、太占天之目止木《ふとまにあめのめとき》などを口伝、伝書などといった形で弟子たちに伝えました『古神道の本』学研。
capelaurig
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