秋山さと子氏は『夢診断』という本で海幸彦と山幸彦の神話を取り上げ、次のように書いています。
ある日、いつも山で狩りをしていた山幸彦が兄の海幸彦と仕事をとりかえて魚を釣りに行き、釣針を失くしてしまう。そして、海の底まで探しにいき、そこで海神の娘の豊玉姫とめぐり会って、姫と宝物をもらい受けて帰り、日本の国を開いたという。
秋山氏はここで山幸彦と神武天皇を混同しているようです。これは二人が祖父と孫の関係にあり、どちらも「彦火火出見」という同じ名前を持つからでしょう。歴史学者の中には二人が同じ名前を持つのはもともと同一人物だったからだと説く人もあり、その学説の影響かもしれません。
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ある日、いつも山で狩りをしていた山幸彦が兄の海幸彦と仕事をとりかえて魚を釣りに行き、釣針を失くしてしまう。そして、海の底まで探しにいき、そこで海神の娘の豊玉姫とめぐり会って、姫と宝物をもらい受けて帰り、日本の国を開いたという。
秋山氏はここで山幸彦と神武天皇を混同しているようです。これは二人が祖父と孫の関係にあり、どちらも「彦火火出見」という同じ名前を持つからでしょう。歴史学者の中には二人が同じ名前を持つのはもともと同一人物だったからだと説く人もあり、その学説の影響かもしれません。
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コメント一覧 (17)
明問う 此界の如き暑を凌く扇もありや 机筆墨紙などは如何に 文字の姿は如何 書籍はありや
幸安曰く 仙境には四季暑寒の季節なき故団扇は遺い不申候 机は高き唐机なり 叉平岩の上にて物書く事もあり 叉広き板の上にシキシと申て畳の如きものを敷き其上に紙を置ても認め申候 筆は此界のと同じく毛は藁の如し 軸の毛際に至る処皆藤にて卷御座候、墨は人界のに似たれども別製と存じ侯 態々黒き物を吐かせそれにて造り申候(明思うに色を取る術なり)紙も彼境の製なり叉私が現界の紙を遺して物認めもらい候事も御座候 彼の利仙君の行艸の字を書きたるを出して明に見せ候 筆力飛風動して実に仙人の書とも思われる物也
幸安曰く すべ都て文字は此界の字と彼界の文字とを互いに打交えやりとりして相用申候 書き物も多あり 冊子は無く皆横卷にて御座候 叉幸安が師の利仙君より伝え呉れ候書なりとて幽境の紙へ
師仙君の自ら認めたる一巻を 明へ見せ呉れ候 文字は幽界の字もあり楷書もあり幽界字は読めず楷書は皆文字は知れながら其文章は一言半句も解しかたき物也 一行斗り読方を尋ね候えども禁戒にて読聞かす事ならずと申候 右の書物写し伝えは叶わずやと問い候はゞ他伝を禁ずと申候
明曰く 幽境の文宇の人間の古篆に似たる処あるは如何 又後の階書を何故仙境に用るぞ
幸安曰く 人界の右文字は元仙境の文字に慣いて作りたるもの也 後世の
階書を用るは便利によっ因てなり
明問ふ 物認め候に関坊ならび併に印章などは無之哉
(大正7年 霊 学 研 究 に 就 て)
capelaurig
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明問う 汝仙境より人間の物を買調え候は如何なる仕方なる哉
幸安曰く 是は師匠の方より術を以て買に遣し呉候事なり 金銭は用い不申候
明問う 天狗は魔境のものなる由に存じ居候処 仙境にも有由如何
幸安日く 天狗は卑き別境のものにて仙境より支配は不致候 然れども狗賓の官位せし時節は師仙の方へ拜謁に参り申候 狗賓は都て鞍馬山が本所にて彼方へ仕へ位階も其行道の甲乙に依て彼方より定り侯由承り申候只伎儀の用に遣う斗りにて御座候
明問ふ 天狗の奉仕する様は如何
幸安日く 当番非番ありて毎日其入替り御座候 毎夜暁の正八ッ時に狗賓は皆退出して一人も無之候 翌朝より叉別の狗賓が参る事なり所謂大天狗小天狗木葉天狗同様に当番非番あり
明問ふ 仙境にも昼夜明闇あり哉 十二時の定めあり哉叉彼界に入り候み砌は一日或は一刻なども現界の如くの長短に思い候哉
幸安曰く 昼夜共に明なる事此界の白昼の如し 日輪の出入は見え候えども光を借り不申候 故に寢る事も無く眠りたき事は無御座候 時刻は此人間の一時も仙境に居る内は久敷様に覚え申候 さて偖十二時の分ちは気支と申 虫の啼くを聞て知り申候 此虫蝉程にて金色の美しき虫なり 羽を振るいて鳴き候か 其声艮時刻の名を呼ぶ様に聞え申候
明問ふ 菓物は何を給べ候哉
幸安曰く 九州赤山には瓊柑と云う菓樹あり 其み 実味甚旨き物なり 何時も実ありて常に食とせり
明問ふ 風雨雷鳴などせし事もありや 簔笠は如何
幸安曰く 風雷は不存候 雨降り候事もあれど身に触れず少しも濡れ不申候 それ夫 簔笠は無之 但木の葉を簔の様に編みたる衣は見申候
明問う 仙人の神社を拝礼せる様の事なしや
capelaurig
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幸安安曰く 紀法仙人水を渡る時は 草を流し其上を踏渡り申候 又
利仙君が熱湯の上を歩行候 都て腰に付たる枯色の瓢を暫時谷水に浸し居候に 青色に成候など希なる成事と侯 又磐石の隔たる中をも自在に出入致侯 私も水を歩行岩を出入事も仙境にある時は出来申侯 人界に帰りてはトント何も出来不申候此後同八月八日当国熊野の高山と申へ行候。清離仙人と逢申候。此仙人は元欽明天皇の十四年癸酉の産にて、其後人間に出たる時の名常陸坊海存重行と申候。丹波の国に生まれ、其父討死の後多年義経に仕えて抜群の忠功を為し、文治九年主君亡て後、叉仙境に入たりと云う。当嘉永五年まで寿命は千二百歳に相成候。此仙人或時海上を歩行したるを見申候。食物は稗の飯を作りた 給べ候谷水を飲申候。又当山にて五色洒と申す酒あり、青、黄、赤、白、黒なり。此中なる赤き酒を飲み候事あり、味甚甘く殊れたり。
明問う、其酒器は如何。
幸安曰く、木の平盃にて御座候、居底なし。
明問う、仙境の衣服の模様は如何、其服は何様の法にて作り候哉叉金銭を扱い侯事もありや。
(大正7年 霊 学 研 究 に 就 て)
capelaurig
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明問う、木葉簔は何人の着するものならん。形は如何。叉鬼形のものにかわ皮褌ありや。
幸安曰く、木葉簔を肩に掛ると腰に纒いたるとにて御座候。是は狗賓の輩用い申候。鬼はシャウ申て木の皮にて作りたる腰纒いあり。獣皮にあらずして皮に似たたるもの也。尤鳥獣の皮は衣にいたさず不致候。
明問う 紀法仙人の舘の外にも隣家ありや又清離仙人の舘如何
幸安曰く、紀法仙の方に隣家敷数十軒御座候。清離仙の岩上に座し、山中往来斗りにて舘は見不申候。
明問う、世に螺貝の天上するなど云うて山中より高く物の登る事あり、龍なりや如何。
幸安曰く、私九州赤山より西の方ユウの山とか空白申す処にて、俄に山裂て螺貝の昇天し、水も多く逆上り出たるを見申候。是は外の物に変化する由に御座候。
明問う、汝海中の仙境へ行候事は無之や。
幸安曰く、師の利仙君の説に海中の仙境には何事も大に替りたる界にて、是は其筋ならでは絶へて往来は致し難き由申され候。
明問う 風の吹く事は如何なる様に候や。
幸安曰く、風は自然に起るものにあらず、神仙の術を以する幽理にて、禁戒のこと事故一切申難く候。
明問う、幽境にも日を撰み、方角の吉凶を云う事ありや。叉八卦易卜樣の事も有之候。
幸安曰く、日を撰ぶ事も、方位の説もあり。然れども人界の俗説には迷い申さず候。易卜は無御座候。
明問う、九州赤山の同学八人の内七人は唐戒なるが、其詞に漢語唐音に
や。又浄玉などは九州詞なりや。音の上り下がりなど如何
幸安曰く、私の耳には何れの人も皆日本語にて此和歌山なまりに聞え申侯、詞は聞く人にて替り候由承り候。
明問う、幽界もかわや厠ある由承り候付ては幽界の人も人間の如く両便も致候哉。
capelaurig
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明問う、竈所井戸ありや。
幸安曰く。竈は不見申侯、井戸は御座候、井筒は石畳なり、水も物にて汲上申候。
明問う、汝仙境にては如何様にして座し居たるや。
幸安曰く、畳の如く編たる敷物有て、夫々安座いたし居候。
明問う、肉食をする事有哉 五辛は忌候や。
《 五辛:五つの辛味ある野菜のこと。五葷ともいう。酒と肉にならんで、仏教徒では禁食されている食べ物である。具体的には韮、葱、蒜、薤、しょうがのことである。楞厳経の巻八に、この五種の辛味を熟して食すと淫がめばえ、生で食すと怒りが増し、十方の天仙はこの臭みを嫌い、離れてゆくとある。もとはインドのバラモンで禁忌とされていた。道教でも同様に心が落ち着かず修行の邪魔になるとされ、食べないほうが良いとされている。聖師は、蒜は精が強く日本人の体質に合わないので禁じている。代わりに韮がある。》
幸安曰く、活たる魚を海より招きよせ手を付たる跡は生ながら海へ放ち申侯。味斗りを 給べ候也(熊の墨色《灰色がかった黒》を取る理に同じ)五辛を忌む事は無く侯。
明問う、六蓄を飼う事有や。叉鳥獣は何様の物見受候や。其様人界と違
い候や、嗚く声は如何。
幸安曰く、六蓄は不存候、狼、熊、野猪、猴《サル》、ヒゝザル兎山鼠などあり皆人語を解し、人に熊の馴るゝこと此界の犬猫の如し、少しも害は為し不申候。既に熊が私の座したる傍に同様に座して遊びたる時もあり、甚愛らしき物なり、鳥は九州赤山にて孔雀を見申候。熊野にてはオシ鳥の水にあるを見候。鳥類の美しき事人界に勝れり。叉奥熊野にては烏も見申候。活物の嗚く声人界と同様なり、物はいわねども言附を能く聞分申候。
capelaurig
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<序 発端>
王仁が明治31年旧2月9日、神使に伴われ丹波穴太の霊山、高熊山に1週間の霊的修行を了えてより、天眼通、天耳通、自他心通、天言通、宿命通の大略を神得し、治教皇道大本の教義をして今日あるに至らしめたるに就ては、千変万化の波瀾があり、縦横無限の曲折が在る。旧役員の反抗、信者の離反、官権の圧迫、宗教家の迫害、親族知友の総攻撃、新聞、雑誌、単行本の熱罵嘲笑、社会の誤解等、実に筆紙口舌の能くする所のもので無い。王仁は唯々開教後24年間の経緯を極めて簡単に記憶より喚起して、其の一端を示す事にする。
皇道大本には変性男子(へんじょうなんし)と変性女子(へんじょうにょし)との二大神系が歴然として区別されて居る。出口直(1836~1918)教祖は国祖国常立尊(くにとこたちのみこと)の表現神として綾部の地の高天原に現われ、神世出現の予言と警告を発し、神世出現(よはね)の神業を専行し、水を以て身魂の洗礼を施こし、救世主(きりすと)の再生、再臨を待っておられたので在る。ヨハネの初めてキリストに対面する迄には、殆んど7年の間、野に叫びつつ在ったのである。変性男子は女体男霊にして、57歳始めて茲に厳(いず)の御魂の神業に参加し玉い、明治25年の正月元旦より、同45年の正月元旦まで、前後満20年間の水洗礼を以て現世の汚濁せる体系一切に洗礼を施こし、世界革命の神業を実現し玉うたのである。彼の欧州大戦乱の如きは、厳の御魂の神業の発動にして、三千世界の一大警告であったのである。変性女子(王仁三郎)は瑞の御霊の神業に参加奉仕し、霊を以て世界万民に洗礼を施こすの神務である。
capelaurig
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幸安曰く、最も奇麗なる子供の横笛を吹き牛を飼い候など見え申候、私か詞を掛け候に笑いたる事御座候。
明問う、現界にあるトカゲ、ムカデ、カマキリの如き形のいやらしき虫もありや。たまご蛋蚊蝿なども如何。
幸安曰く、さようのいやらしき悪物は一切なし、松虫、蝶などの如き愛すべき姿の虫斗りなり。谷中に生火というものあれども、龍の類にて御座候。
明問う、人の舘の外は広芝なりや。山なりや。
幸安曰く、皆山中にて御座候。然れ共其模様人界に見る山中の有樣とは違い清く雅びに見え申候、同年九月六日も亦熊野の高山へ参り申候。此時魂ばかりにて行申候。
明問う 他境にも毎朝拜神やうの事、叉御霊代へいはく幣帛の御鏡様のものありや。
幸安曰く、九州赤山にて白髪の老人シヤクを持ち玉うまとも真正面の神像の下に天王の書きたる美しき紙表具の懸物を懸て毎朝諸人の拜するを見申候。叉一丈あまりの大鏡あり、其後に幤の頭とおぼしきもの少し見え申候。肖像などは此鏡に写りたるを見て相認申候。
明問う、拝神の礼容は如何、拍掌か合掌か叉のりと祝詞は如何なる文なりや。
幸安曰く、九州の利仙君の方にて見申候は拍掌合掌見申侯。凡て拱手也、其腕組みの形は両様あり、何れも両手を組み、人指と人指とを伸て合せたると叉人指斗り伸せ合せて拱くとの二つなり、籾手を拱きて頭は胸の辺り迄下げ申候祝詞は何れも口の内にて小声に唱拱き、故其文は分り兼申侯。
明問う、現界の人間が諸尊神仙を礼拜する詞の幽境に通ずる事ありや。
幸安曰く、人界の礼拜祈念の詞は幽界へ能く聞え申候、既に私九州赤山に居候時、現界の礼拜の詞が風に響て遠音に聞えたる事御座候。
明問う、毎朝拝礼の御霊代は神像に限り候や。叉前に供物などありや。
(大正7年 霊 学 研 究 に 就 て)
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明問う、懸物風帶は如何、
幸安曰く、風帶あり、人界のと同じ但甚見事也。
明問う、刀劒の類はなしや。
幸安曰く、赤山にて太刀を座の側に置あるを見申候。
明問う、弘法の談因果物語様の事はなしや。
幸安曰く、真神の仙境なる故に左樣の事は一向に無御座候。
明問う、仙境の言語は何様の詞遣いなりや。
幸安曰く、仙人の詞は自在なる事其人に隨て異り申候。私は紀伊国和歌山産と申候故に、すべて当地の詞にて物語いたし致呉候に付能く相分り申候。
明問ふ、汝仙境にて物を致すと、此界にて事を成すと何れの方出来易く覚え候や。
幸安曰く、彼の境にては何事を為易く能く出来申候、当嘉永五壬子年三月頃より西要寺へ参り居候処、翌四月三日、九州赤山へ参り、夫より又肥前国高山へ参り、叉同月七日に当国熊野の高山へ行申候。九月二十六日帰宅仕候。
明問う、汝が幽界にある時の衣服は現界より着用の侭に候や。叉魂氣斗りにて行時は裸形なりや。叉面相は変り不申候や。
幸安曰く、骸のまゝ行候時も、魂空白のみ出て行き候時も。忽吾身には彼境の衣服備り御座候、其服は此服とは違いいつにても青色の平袖の衣を着し足に木沓を履き申候。人相は気行たい体行共に少しも変り不申候。然れども現界にある時よりも肌膚美しく清く成申候又此界にて頭痛も腹痛などする時も幽界に入ては忽病は離れ申候。
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