天皇の起源については分からないことばかりです。私も欠史八代についてかなり調べてきて、この時代は女系継承が行われていた可能性を考えてみました。
推定される崇神天皇の時代と、巻向遺跡の開始の年代は一致しないと思われるのです。それなら欠史八代が巻向遺跡に関係していたことになりますが、この時代の天皇の宮は葛城地方が主体です。ただ歴代皇后の出自を見ると「磯城県主」出身が多く、巻向遺跡との関係がありそうに思われます。
磯城県主は三輪氏の本宗と思われ、崇神天皇の前の時代に男系が絶え、娘を物部氏の遠祖が娶ったと伝えられています。その後、疫病の大流行で民が絶滅しそうになり、卑弥呼に比定されることもあるモモソヒメの神託で大物主神の子を探し出し、三輪山の祭りを復活させると疫病は収まったと言われています。磯城県主も新たに物部氏から分かれ、奈良時代までは続いたようです。
分からないことばかりですが、今後も調べていきたいと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
推定される崇神天皇の時代と、巻向遺跡の開始の年代は一致しないと思われるのです。それなら欠史八代が巻向遺跡に関係していたことになりますが、この時代の天皇の宮は葛城地方が主体です。ただ歴代皇后の出自を見ると「磯城県主」出身が多く、巻向遺跡との関係がありそうに思われます。
磯城県主は三輪氏の本宗と思われ、崇神天皇の前の時代に男系が絶え、娘を物部氏の遠祖が娶ったと伝えられています。その後、疫病の大流行で民が絶滅しそうになり、卑弥呼に比定されることもあるモモソヒメの神託で大物主神の子を探し出し、三輪山の祭りを復活させると疫病は収まったと言われています。磯城県主も新たに物部氏から分かれ、奈良時代までは続いたようです。
分からないことばかりですが、今後も調べていきたいと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
コメント
コメント一覧 (24)
岩屋戸の変以前の高天原は、そうした嘘やいつわりを知らぬ清い別天地であったろう。とすればこの天界に芽生えた邪気の初めは何か。一方的に被害者にされる天界の主宰神天照大神にまったく非はなかったのだろうか。王仁三郎は述べる。
「言霊の鏡に天照大御神のお姿がうつって、すべての災禍はなくなり、いよいよ本当のみろくの世に岩屋戸が開いたのであります。そこで岩屋戸開きが立派におわって、天地照明、万神おのずから楽しむようになつだけれども、今度は岩屋戸を閉めさせた発頭人をどうかしなければならぬ。天は賞罰を明らかにすとはこのことでございます。が、岩屋戸を閉めさせたものは三人や五人ではない、ほとんど世界全体の神々が閉めるようにしたのである。で、岩屋戸が開いたときに、これを罰しないでは、神の法にさからうのである。しかし罪するとすれば、すべての者を罪しなければならぬ。すべての者を罰するとすれば、世界はつぶれてしまう。
そこで一つの贖罪者を立てねばならぬ。すべてのものの発頭人である、贖主(あがないぬし)である。仏教でも基督教でもこういうのでございますが、他のすべての罪ある神は自分らの不善なりし行動をかえりみず、もったいなくも大神の珍の御子なる建速須佐之男命お一柱に罪を負わして、髭を切り、手足の爪をも抜き取りて、根の堅洲国へ追い退けたのであります」(『霊界物語』一二巻三O章「天の岩戸」)
capelaurig
が
しました
1858年 安政の大獄で恩師吉田松陰が斬殺され、伊藤俊輔(17才)が小塚原に遺体を引き取る。遺体を清める異常な体験から、テロリストへ変貌する、1863年に長州ファイブとして英国へ密航留学し化学を学び後、処刑を命じた幕府倒幕(攘夷)そして幕府を支持した孝明天皇の暗殺(1866年)を実行したとされる。上京する西郷(南朝の家臣、菊池氏の子孫)を、長州田布施の大室家に紹介し、南朝伝承を確認させ、薩長同盟には公武合体の孝明天皇/睦仁親王を廃し、南朝の天皇を立てる約定があった。1867年7月睦人親王は猿に手を引っかかれ負傷し、膏薬に毒が仕込まれたという。一説によると、慶子の子供ではなく、慶子は毒殺に同意したという。中山忠能日記に奇兵隊の天皇として、大室寅之祐が登場する。明治天皇の勅裁には伊藤が意のままに作成できた。大正天皇には子種がなく、1899年公爵毛利元徳(もとのり)の八男が、伊藤博文の仲介により、公爵西園寺公望の養子となり西園寺八郎と名乗り、死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた。伊藤博文は権力者として、明治天皇から昭和天皇までデッチ上げたことになる。
1921年、第1次大本事件は宮中某重大事件で、聖師が鶴殿親子より皇室へ、問題なしと伝え、伊藤後の権力者山縣有朋が失脚した恨みから事件を起こした。
1935年、第2次大本事件は全国組織の昭和神聖会発足により、ご落胤である聖師が表舞台に立ち、昭和天皇の皇位継承権が危うくなると判断した西園寺公望の犯行である。
capelaurig
が
しました
姉神をふくめた万神と地上人類の罪の贖主として甘んじて処刑を受けられた素盞 鴫尊こそ救世主、救いの大神として、王仁三郎は位置づける。もとより国祖は、この岩戸の開き方が気に入らない。筆先はずばり指摘する。「まえの天照皇大神宮どののおり、岩戸へおはいりになりたのをだまして無理にひっぱり出して、この世は勇みたらよいものと、それからは天の宇受売命どののうそが手柄となりて、この世がうそでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり」明治三八年旧四月二六日(『大本神諭』第四集)
神代の昔から、こうした嘘や偽りで日の大神をだました上、力にまかせてひっぱり出し、それを手柄として自分たちの謀略を省みようともせぬ高天原の万神たち。神がこうだから、神に誠心がないから、それが地上世界へ写って人民が悪くなる。目的さえよければ手段を選ばぬ今の人民のやり方が、どれだけ世を乱すもととなっているか。
人民ばかりが悪いのではない。神、幽、現界を含めて三千世界を立替え立直す。まずその根本を正してこの世を造り直させよう。これがどうやら国祖の御意志らしい。
capelaurig
が
しました
時は今、再び岩戸が閉められる。明治二五年に国祖は出口直にかかり、第二の岩戸開きを宣言した。それは立替え立直しと共通項でくくられるものであり、相互に内的関連性を持つといえよう。
ではどうした方法で第二の岩戸を聞くのか。神代の岩戸開きの過ちを再び繰り返さぬためには、愛と誠で開くよりない。王仁三郎は示す。
「天の岩戸の鍵をにぎれるものは瑞の御霊なり。岩戸の中には厳の御霊かくれませり。天の岩戸開けなば、二つの御霊そろうてこの世を守りたまわん。さすれば天下はいつまでも穏やかとなるべし」(『道のしおり』「第三巻」上)
素盞嶋尊の願っている理想世界とは何か。尊が八岐の大蛇を退治し櫛名田姫を得、出雲の須賀に宮を作った時の歌に集約されている。
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」
この歌が和歌の始まりといわれる。一般的解釈は字句通り、雲の沸き立つ出雲の地に宮を建て妻を得た感動を歌ったものとされるが、王仁三郎はその歌に特別の密意を読みとっていた。
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
「伊邪那岐尊から統治をゆだねられたこの大海原、地上世界には八重雲が立ちふきがっている。どの国にもわき立つ邪気が日の神の光をさえぎるばかりでこの世は曇りきっている。秀妻の国の賊(八岐の大蛇)は退治したものの、さらにこの国を八重に閉じこめている心の垣 その八重垣をこそ、取り払わねばならぬ」
人類の歴史は、いわばいかに頑丈な垣根をめぐらすかに腐心してきた。神代の昔、すでに姉と弟の間にも越えがたい垣根がはばんで文明が開化すればするほど、われわれは多くの垣根を作って生きている。
国と国が、人類同志が、民族間、階級間、その上宗教の違いまでが生み出す心と心の垣。そのさまざまな八重垣を取り払い、焼き減ぼすのが、素盞鳴尊の目ざす火(霊)の洗礼、「みろくの世」ではないだろうか。
立替えを 世人のこととな思いそ 立替えするは己が御魂ぞ
みろくの世 早や来よかしと祈りつつ 岩戸の開くもく時を待つかな
三千歳の 天の岩戸も明烏(あけがらすみ) 時きわたりつつ世をきますなり
八束髭 手足の爪をはがれつつ 血をもて世をば清めたまいぬ
八束髭 生血と共に抜かれたる 瑞の御魂は戸川町の天弛の岐美(きみ)。
capelaurig
が
しました
もとより瑞霊としての裏の神諭は断続的に発表されてはいたが、王仁三郎は筆先の真解ということばかりでなく、開祖の期待していた<みろく>の教説についても、まだ発表していなかった。いよいよ近づいてきたとする認識は霊界物語第1巻の発端にある。 『天地剖判の始めより56億7千万年の星霜を経て、いよいよみろく出現のあかつきとなり、みろくの神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱を建て、苦重滅道を説き、道法礼節を開示し、善をすすめ、悪をこらしめ至仁至愛の教えをしき、至治太平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したもう時期に近づいて来たのである。』と記されている。
capelaurig
が
しました
・規制委はズサン審査でスグ稼働 - 原子力ガリレオ 「ずさん」の秀句:
・後始末できぬ原発もうやめろ - ふ64
・白い紙次々通す黒議会 - ふ64 ・人削りずさん対応誤振込 - 芒野
・16兆どこに消えたか使途不明 - 芒野 ・原燃はズサン工事でまた延期
- 原子力ガリレオ
「ゼロ」の特選:
・いつになる原発ゼロへ座り込む - 芒野 「ゼロ」の秀句:
・ゼロ歳児背負った借金ゼロいくつ - ふ64
・合格も危険ゼロとの保証なし - 原子力ガリレオ
・危機管理ゲリラ対策中味ゼロ - 原子力ガリレオ
・ゼロに向け日々を重ねる座り込み - 芒野
・安全な線量それはゼロベクレル - ふ64
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
capelaurig
が
しました
大本神諭 天の巻では『変性男子と女子との身魂の昔からの誠の因縁さえ解りて来たら、外の事は何も解らいでも、今度の御用は勤め上がるのであるから。。。。』、霊界物語でも国祖神の御隠退再現について度々述べられている。聖師(出口王仁三郎)の人類への遺言、1945年吉岡発言では『官国弊社の祭神は神でなく、唯の人間を祀っている。。。』
大本第二次弾圧事件の原因をじんわりと誰にでも理解し易く述べられた。
つまり人類愛善の精神と万教同根の精神を強調された。
神社の境内は広く、沢山の神々を祀り、記紀神話の神も出てくる。
事件中、聖師は『わたしの教えに幾人ついて来てくれるか』と大本神観を如何に正しく理解するかが基本になります。
侵略戦争を聖戦とし。国家神道を主張した元凶といわれる筧克彦氏は『天照大御神様が根元として、主たる神様で在らせられ、天之御中主神は是だけを御祀りしようがない、大宇宙の根元というものを直ちに捉まえてお祀りするという事は出来ない』と宇宙創造神を否定している。
神社本庁の座田司氏は『天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神を造化三神と仰いだが、これら三神は観念神であって、氏神制度の祖先神つまり人格神として祭るのが日本の神々』と規定している。
これでは、主神信仰に至らないわけで、聖師の『神社は人を祭る墓所の様なものだ』という至言になる。
capelaurig
が
しました
裁判長:この事件は結社の組織罪が問題だ。たとえお前が死んでも結社を認めさえしなかったら、部下達は助かったかもしれぬ。お前の答弁を聞いていると、自分が助かりたいやり方に聞こえる。宗教家としてよいのか?
王仁三郎:禅宗の問答に<人虎孔理に墜つ>と言って、穴に落ち込んだ人がどうすべきかという問答がある。人間より虎の方が力が強いから、逃げてもじっとしても跳びかかって殺される。一つだけ生きる道がある。こちらから喰わしてやらねばならぬ。後に愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ。
裁判長:その点はもうそれで宜しいと追求を打ち切った。
大本を弾圧した権力を虎にたとえ、教団や王仁三郎自身を虎穴に落とされた人にたとえて、予審で無理矢理、署名捺印された状況・弾圧に対する自己の態度を述べた。
王仁三郎は検事や予審判事が<皇室を倒して日本を統一するのだろう?>というから、<そんな小さい事を言ってくれるな、地球を統一して大宇宙から観れば、日本に例えれば日本の一番貧乏な家位のものだ。私は全大宇宙を腹に呑んでいるのだから>と答えてやった。<日地月星のだんごも食い飽きて、いまは宇宙の天界を呑む>と歌っており、当局の必殺の攻撃も意に介さない見識と抱負が伺える。
capelaurig
が
しました