暑い夏になると、やはり終戦(敗戦)の夏が思われます。私は直接経験したわけではありませんが。
連合国が日本に呼びかけた「ポツダム宣言」を読み返してみると、その残虐性に驚かされます。日本民族の絶滅や奴隷化を求めるものではないと言っていますが、無条件降伏以外の日本の選択は完全かつ迅速な壊滅あるのみだと脅迫して終わっているのです。
これは脅迫ではなく、アメリカは本気で日本民族の皆殺しを考えていたと思います。広島、長崎だけでなく、京都や新潟を含めて数十発の原爆を落とすつもりでいました。
京都は原爆の目標に入っていたため、B29による通常の爆撃は禁じられていましたが、戦後は「アメリカは日本文化を尊重したから京都を爆撃しなかった」という新たな神話が作られ、これを多くの日本人が信じました。おめでたい話ですね。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
連合国が日本に呼びかけた「ポツダム宣言」を読み返してみると、その残虐性に驚かされます。日本民族の絶滅や奴隷化を求めるものではないと言っていますが、無条件降伏以外の日本の選択は完全かつ迅速な壊滅あるのみだと脅迫して終わっているのです。
これは脅迫ではなく、アメリカは本気で日本民族の皆殺しを考えていたと思います。広島、長崎だけでなく、京都や新潟を含めて数十発の原爆を落とすつもりでいました。
京都は原爆の目標に入っていたため、B29による通常の爆撃は禁じられていましたが、戦後は「アメリカは日本文化を尊重したから京都を爆撃しなかった」という新たな神話が作られ、これを多くの日本人が信じました。おめでたい話ですね。
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コメント一覧 (54)
capelaurig
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熾仁『成程、貴女の心としてはそう思われるのももっともです。私だって貴女を思う心は決して劣りませぬ。しかしながら、そこを耐へ忍ぶのが人間の務めだ。月に村雲花に嵐、思うようにゆかぬは浮世の常、如何なりゆくも神様の御摂理、こうして半時の間でも、一生会われないと思っていた相思の男女が会うて、心のたけを語り合うのも、神様の深きお情、私はこれで最早一生会うことができなくても、決して神様を恨んだり、世を歎いたりは致しますまい』
和宮『貴方の恋は実に淡白なものですなア。それで貴方は最早満足なされましたか。エヽ情ない、そんな御心とは夢にも知らず、何とかして貴方に巡り会い、海山の話を互に打明け、あらゆる艱難や妨害に堪へ、たとえ虎狼の吼え猛る深山の奥でも、夫婦となつて恋の本望を遂げねばおかぬと、矢竹心に励まされ、剣呑な荒野原をわたり、イルナの都(京都)に逃げ帰る途中、神様の御引合せにてここに助けられたのでございます。(王仁三郎が和宮がカールチンこと岩倉具視一味に剣呑な荒野原 箱根の山を渉り京に帰る途中襲われたことを百年後の読者に向けて暗示しているところ・直接霊界物語に真実を書けば王仁三郎は極刑か暗殺はまぬがれない)
どうぞそんな気の弱いことを仰有らずに金剛不壊的の大度胸を出して、両人が目的の貫徹を計つて下さいませ。貴方にはサマリー様といふ最愛の奥様がお控へ遊ばしてござるのですから、無理もございますまい。イヤ妾(わらわ)も迷うておりました。最早貴方の心は昔日の心ではございますまい。誠にすまないことを申上げました。どうぞサマリー姫様と幾久しく偕老同穴をお契りなさいませ。妾は幽界とやらへ参つて、御夫婦のお身の上を守りましょう』と言い放ち、ワツとばかりに王の膝に泣き崩れる。
capelaurig
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capelaurig
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と狂気の如く室内を駆け巡り、王の頭に手を当て、
和宮『モシ、王様、許して下さいませ。決して貴方をこかそうと思つたのじゃございませぬ。貴方ばかり決して殺しは致しませぬ。妾もキツトお後を慕います』と言いながら、スラリと懐剣の鞘を払い、つくづくと打眺め、
和宮『果敢なきは夢の浮世と知りながら
かかるなげきは思わざりけり。
と云いながら、アワヤ吾喉につき立てむとするを、此時戸外に立って様子を伺いいたる八木清之助は慌しく飛込み来り、矢庭に姫の懐剣を奪い取り、声を励まし、
清之助『ヤスダラ姫殿、狂気召されたか、かかる神聖なる霊場に於て、無理心中とは何のこと、天則違反の大罪となる事をお弁えなさらぬか。そんな御心とは知らず、貴女の御身を保護し、江戸を命カラガラ逃出し、猛獣の猛び狂う荒野原をようよう越えて此処迄お供をしながら、勿体なや王様を殺し、貴女も亦ここで御自害をなさるとは何と云う情ないお心でございますか。八岐の大蛇か金毛九尾の悪狐に憑依され、そんな悪心をお出しなさつたのでしょう。王様の仇を討たねばおきませぬ』
セーラン王とは孝明天皇を意味したり熾仁親王を指すこともあります。サマール姫は堀川紀子、ヤスダラ姫は和宮なのですが、リーダは八木清之助であり、王仁三郎は慧眼の読者が真相を見破れないようにあえて混乱させ、百年後の読者の解読を待っているのです。これから世界の学者が霊界物語を読み解こうとするようになります。世界の真相のほとんどが書いてあるために。
実際の和宮は箱根塔ノ沢の地でこのように歌を詠みながら自害したと思われる。
capelaurig
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capelaurig
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いや憲法改正まで突っ走るかもしれませんね。トランプ、ジョンソン、安倍に共通するのは右派ポピュリズムですよね。プーチン現れ、世界は危険なナショナリズム謳歌の時代です。全ては格差社会、金持ちから税金が取れない悪循環が原因ですね。
capelaurig
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経済学者ピケティ氏らが公表している「世界不平等報告」によれば、中国では上位1割の高所得層が所得全体の41%を占める。北米ほどではないが、欧州より富の偏りが大きい。
財政による所得の再分配機能が相当に弱い。税制では相続税がなく、年金・医療など社会保障の仕組みは手薄だ。大都市部で不動産価格が高騰し、北京や上海では過去数年で3~4倍になった物件が珍しくない。社会主義を標榜し、「西側と異なる中国式発展の道」を習政権が強調してみたところで、経済の実態は米国流の新自由主義に近い。共産党大会で習氏は、貧困を撲滅し、一人ひとりの生活の質を高めると宣言してはいるが。
capelaurig
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『入那の国(京の都)の刹帝利 セーラン王(孝明天皇)の家筋に
生れ合いたる吾こそは 親と親との許嫁《いいなづけ》
セーラン王(熾仁親王)の妃となりて 入那の国(京の都)を永久に
守らむものと朝夕に 神に願を掛巻も
畏き神の御心に 反きしものかゆくりなく
テルマン(江戸)国に追いやられ 素性卑しき毘舎(商工人7)の家
シヤール(家茂)の妻となり下り 面白からぬ月日をば
歎きかこちつ暮しける 時こそあれや青天の
霹靂胸をとどろかす 惨状吾身に迫りけり
梵天帝釈自在天 神は此世にまさずやと
吾身の不運を歎つ折 忠義に篤きリーダー(清之助)が
雨風烈しき真夜中に 吾とらわれし牢屋をば
忠義の槌を打振りて 砕き毀《こぼ》ちて救い出し
暗に紛れて荒野原 スタスタ進み来る折
右守の司《岩倉具視》の捕手等に 前後左右を取りまかれ
蓮の川の此方にて いかがはせむと悩む折
竜雲司に助けられ 又もやここに高照の
深山の奥の岩窟に 危き身をば救われて
北光神の御教を 朝な夕なにかかぶりつ
曇りし胸も晴れ渡り 迷ひの雲は払拭し
真如の月日は心天に 強く輝き給ひけり
あゝ惟神々々 悪魔のしげき世の中に
かくも仁慈に富み給ふ 誠の神もいますかと
感謝の涙川となり 沈みし胸も浮き立ちて
救ひの舟に棹をさし 天国浄土の楽園に
逍遥しける折もあれ 思ひがけなき刹帝利
セーラン王《熾仁親王》の一行が 尋ね来ませる嬉しさよ
capelaurig
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capelaurig
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capelaurig
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仮令大地は沈むとも 誠一つは世を救ふ
誠の道を踏みしめて 玉の御柱立直し
天地の花と謳はれて 豊けき誠の実りをば
枝もたわわに結びつつ 今迄もつれし心をば
ときさばき行く奇魂 曽富戸の神の幸ひに
進むわれこそ雄々しけれ あゝ惟神々々
御霊幸はへましませよ
道は益々急坂となり、鞍上最も注意を要すべき難路につき当つた。されど何れも乗馬の達人、鞍上人なく、鞍下馬なき有様にて、悠々として凩に面を吹かれながら英気に充ち、一行は単縦陣を張りつつ登るのであつた。竜雲は馬上豊かに歌ひ始めた。
このように明治二年一月に有栖川宮が家茂なき後結婚を望んだ和宮が岩倉具視らにより箱根塔ノ沢の地で暗殺されました。その悲しみが熾仁親王と上田世祢を結びつけることになった。
明治十年に逝去(せいきょ)したとされる和宮の公式記録と明治二年に逝去したとする時間の差をどう説明するかが問題となります。明治二年以降に替玉としての新しい和宮が現れなければならない。
替玉和宮にもっともふさわしい女性は、南部郁子《いくこ》妃が有力です。
capelaurig
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capelaurig
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科学技術の発達によって世の中が便利になり、昔は分らなかった謎もおいおい解明されいろんな迷信や偏見が打破される。その結果、「宇宙戦争が想定きれる現代において、神や霊界などにまどわされるのは前近代的だ」と思い込んでいる人は多い。だがはたしてそれでいいのだろうか。
どんなに科学が進んでも、宇宙の謎を完全に解明することはできぬ。白い米を食って、赤い血をだし、黒い髪をはやし、黄色い糞をたれる。
この原理が明瞭にわかった医学博士もなければ、科学者もない。出口王仁三郎は「鼠一匹を研究して論文をだしても博士になれる世の中だから、学者といっても、真に頼りないものである」(水鏡』「科学の力」)といい、「屁のような理屈を吐いて飯を食う醜のものしりあな恐ろしき」と嘆く。
一流といわれる科学者の中にも、宇宙は科学ではとらえきれないことに気づいている人は少なくない。アインシュタインや湯川秀樹も科学の限界について深く認識した。昨今力を得てきたニューサイエンスも、物質の限界にようやく気づき、霊性など目に見えないものを認識しはじめたきざしがある。
物理学者の中には、東洋の神秘主義の神秘的体験から得た世界観の中に探している答えがあるのではないかと、考える人が増えている。『タオ自然学』を書いたフリッチョフ・カブラなどはその例だが、別に物理学に限らず、生物学のライアル・ワトソンなどもニューサイエンスの旗手だ。
神とか霊界は非科学的な迷信だと信じる人は、科学を一枚岩のがっちりしたものだと、思い込んではいないだろうか。実際はパラダイムのつぎ合せ、寄木細工に過ぎないのに。たとえば現在、理論物理学の分野、特に素粒子のレベルで、幾つものパラダイムが併存している。長い間、物質の構成要素の最も小さいものとされてきた原子が、実は電子、陽子、光子といった素粒子によって構成されていることが分った。
capelaurig
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筆先が近代天皇制による神国ナショナリズムとの軋轢による社会的革命性、立替えの為、戦争を辞さない終末論的ラディカリズムを内包している。大本が組織化を進めた大正期はデモクラシーが実現され、裏面では世界戦争を準備していた。60年代を生きる高橋は王仁三郎が持っていた力を拡大し、暴力の帰結で崩壊まで描き尽くす。救霊会という組織が宗教団体という名の政治運動体へのプロセスで、出口なおの世直し思想、王仁三郎の言動と行為を重視し作家としての文学的創造力を発揮する。いかなる信仰集団が描き出されるのか宗教文化のダイナミズムが浮かび上がる。
capelaurig
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capelaurig
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裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。どんな悲惨な事故を
起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らは「これからもまた原子力を推進する」と言っている。
これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。愚かな国民には愚かな政府。それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の
悲しみはいつの日か爆発する。今回、アベさんを銃撃した人の思いは分か
らない。はじめから「許しがたい蛮行」として非難する意見には私は与さない。参議院選挙で、「アベさんが可哀想」とかいう意見が反映され今回の
出来事を理由に、安維持法、共謀罪などが今まで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないか。
capelaurig
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奇妙なことだが、物質はより根源的なエネルギーの代名詞だというのだ。物質もエネルギーも根は一株につながっているが、その正体を見届けた者はまだ一人もいない。そんなミクロの世界のことさえまだ闇の中だから、神や霊界の有無について、科学で答えがでるのはまだまだ先であろう。
現実の表層に浮かび上がる物質世界を説明するいかなる言葉も、今ではすっかり色褪せた。近代科学はじまっていらい確固不動の礎とみなされてきた物質は、結局、うたかたの夢のように明滅していくはかない幻想であり、実像そのものではあり得ない。このような認識は、同時に物質の背後にあって支えきっている別次元の深層界を想定せざるを得ないはめに陥った。そして、深層の岩盤をえぐり出そうとする苦渋に満ちた試みも、ようやく緒についたばかりである。
capelaurig
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とかく科学者は科学者の目で、宗教家は宗教家の目で、哲学者は哲学者の目でしか神や霊界を見ていない。そういう色眼鏡をはずし肉体的思考から離れぬ限り、物事の真実はわかるまい。王仁三郎が中途半端な学者に対してこのような毒舌を吐くのも、科学もまた将来、神や霊界に到る大事な道だという期待があるからだ。
「昔の人聞は直感すなわち、第六感が鋭かった。だが今日の科学は、最低の直感を基礎として立てられたものだから、だんだんその第六感をにぶらしめてきた。それは人類にとってたいへんな損失であり、どうしても今後の学問は科学的に人間の知慧を向上せしめるとともに、神より与えられた人間の直感力をいよいよ発達させて、両々相まって人類の福祉に貢献するよう、努力させねばならぬ」(『人類愛善新聞』昭和一O年八月二三日「直観力を養え」)。
capelaurig
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科学を基礎としなくては/神の存在経論を/承認しないと鼻高が/下らぬ屁理屈並べたて/己が愚をも知らずして/世界における覚者ぞと/構えいるこそおかしけれ/学びの家に通いつめ/机の上にて習いたる/畑水練生兵法/実地に間に合うはずがない/口や筆には何事も/いとあざやかに示すとも/肝腎かなめの行いが/できねばあたかも水の泡/夢か現か幻の/境遇に迷う亡者なり/肉の眼は聞けども/心の眼暗くして/一も二もなく知恵学を/唯一の武器と飾りつつ/進むみ霊ぞ憐れなり。知るという 人はなにもの 天地の 妙(あや)しき神業(みわざ) かみならずして
霊と肉 一致和合のみおしえは 三五の道を おいて他になし
ダーウィンが『種の起源』を発表した当時その時代の人々にとって「人間とは何か」という問いかけは、文字通り現代以上に大問題であったろう。
現代の科学技術は、核爆弾、自然の汚染、環境の破壊といった問題を生み出し、人類ばかりか地球上の全生命までも滅亡させかねない状態になっている。遺伝子操作の技術の進歩は、人間そのものの遺伝子に手を加えてゆくであろう。こうして科学が神の領分にまで踏みこもうという事態になると、あらためて「人間とは何か」を根源から考え直す必要がある。
人工知能やロボットの研究により、他動物に比べすぐれているとされた人聞の思考能力は、人間自身がうぬぼれているほどのこともなく、機械で可能な部分がかなりあることに気づかされた。ここでもやはり「人間とは何か」が問題になってくる。
capelaurig
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科学技術をとらえるやり方はさまざまあるが、単純に科学を研究、技術をその応用とすると、戦後いちじるしく伸びているのは技術の方だ。その技術は人間の持つ能力の延長、拡大、変形と欲求の現実化へ進む。技術の発展につれ、人聞が思ったことと、それが実現するまでの時間的ズレが少なくなる。
一九二二年、王仁三郎はすでに、「二十一世紀の初期には通信機関が発達して、毛筆や鉛筆や万年筆の必要はなくなり、指先で空中に七十五声の文字を書けば相手に通じるようになる」(『霊界物語』一五巻二一章「帰顕」)と予言している。文字が言語を発する時代になるというのだが、当時は荒唐無稽に思われていたことでも、今では不可能な夢ではなくなった。だんだん思っていることがそのまま現実化していこう。人間の生活面は技術の開発によって欲求が限りなくエスカレート、物が充ちあふれ格段の進歩を遂げたかに見えるが、根の部分はさほど変わっていない。それよりも、技術によって生み出されたものが生物すべてに有害だと気づいても、それを根絶することの方がより困難になってきた。たとえば公害の最たるもの、もともとあってなんら益のない核兵器の廃棄自体、さらに強力な兵器を発明するより至難であろう。悪と悟ってソク改めるだけの英知と決断が、もはや人類には残されていないのか。
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宮崎県の幸島に群棲するニホン猿のうち、賢く若い一匹の猿がある日、ふと芋を海水で洗って食べた。翌日は別の若い猿がまねる。旧習依然たる老い猿たちを除き、次つぎ芋洗いを真似る若猿たちが増え続け、その習慣が定着するのに六年かかった。ところがある朝、最後の若猿・・・百匹目だったとして・・・が芋を洗った時から、突如変化がおこった。頑固保守猿たちが何思ったか、いっせいに芋洗い猿に変身したのだ。驚いたことに、まったく交流のない別の島々にいる猿の群までいっせいに芋を海水で洗って食べる習慣を持ち始めた。
この現象をどう理解すればいいのか。まったく飛躍的な情報が、一つの「種」のみに共通する「目に見えない場」を通じ、空間を超えて伝達、発現したのではないかという考え方がある。一九八一年、レパート・シェルドレイクは、この「目に見えない場」を「形態形成場」と名づけたが、それを「霊界」と呼ぴかえてもさしつかえあるまい。
一度目ざめた猿の知恵は次から次へと新しい局面を切り開き、現在ではタコ狩りを覚えるまでに至った。しかも、明らかに調理技術を身につけている。海辺の岩角にとりたてのタコをこすりつけ、すり跡に海水の塩味をしみこませる高等手法を編み出してしまったのだ。向島の猿族はこうした知的な営みに喜々としてたわむれ、今後どこまで発展するのか注目を集めている。それがまた、形態形成場を通じて、別のサル群にどう波及してゆくか、興味ある問題である。
capelaurig
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人間の場合、「百匹目の猿」のような飛躍的現象は、言語の使用などによって促進され、それこそ無数に存在する。人類の進歩は飛躍によってもたらされてきた。新しい発明が社会に普及したり、明治維新、ロシア革命などの現象もそうである。飛躍は必ずしも良い方向へ向うとは限らぬ。ファッシズムの拾頭と民衆への波及、兵器の発明とその拡大などといった好ましくない飛躍もある。
いずれの場合でもその先駆者は少数から始まり、ある程度の数に達した時に飛躍が生まれる。少数にとどまったまま飛躍にいたらず、途中で消えてしまったものも数多い。弁証法でいう「量から質への転化」はそのことを意味する。
艮の金神は「このままでいくと世界の大峠がきて、人民が三分になるぞよ」と警告した。第一次、第二次世界大戦で人類は幾つかの峠を越えたが、まだ地球を傾けるほどの「大峠」は越えていない。早く人類が意識を変革せぬ限り、それはくる。
出口直に憑かる艮の金神は三千世界の立替え立直しを叫び、人民が改心せねば「三分になるぞよ」 と予言する。その「立替え立直し」も、ある質的大変換が引き金になるであろう。
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