きょう5月2日は、『天人五衰』が昭和45年(1970年)に始まる日に当たります。もちろん作品中の日付で、終わる日は昭和50年7月22日です。
ところが『豊饒の海』の最後には

「豊饒の海」完。昭和四十五年十一月二十五日

とあり、三島由紀夫が市ヶ谷で自決した日付が書かれています。これは現実世界の日付で、ここには三島のメッセージが感じられます。特にこの日付を入れなくても、『豊饒の海』は三島の遺作であるという事実は残るはずなのに、あえて入れたのですから。
『天人五衰』の中にでこの日付を探してみると、数日のズレはありますが、本多透が家庭教師の古沢と喫茶店で会話をする場面があります。ここで古沢は自殺の話を始めて透を驚かせ、僕は自殺は嫌いだが自己正当化の自殺だけは許せると述べ、猫と鼠の話をしました。自分は猫だと信じている鼠が本物の猫に出会って食われそうになり、おまえが猫ならそれを証明してみろと言われて、洗剤だらけのタライに飛び込んで自殺したというのです。
この猫と鼠の話は、作品中での透の自殺未遂と失明につながっているように思われます。鼠が透だとすれば、猫は久松慶子ではなく、松枝清顕でしょう。透は清顕に会ってはいませんが、清顕の夢日記を読んで自殺を図りました。でも三島自身の自決とは、直接のつながりは無さそうです。
直接つながりそうなのは、やはり『奔馬』の飯沼勲です。

正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕(かくやく)と昇った。

美しい文章ですが、三島の自決が重なってしまうために、清顕や月光姫の死とは違う感慨を持たざるを得ません。
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