『本多はインドで何を見たか』を書いた後で読み返すと、アジャンタのことがほとんどで、ベナレスについてあまり書いてないことに気づきました。しかも『暁の寺』七で本多はカルカッタも訪れていて、詳しく書かれています。まず本多のカルカッタ体験を見てみましょう。
本多がカルカッタを訪れたのは1941年の10月上旬で、たまたま年に一度のドゥルガの祭礼で賑わっていました。ドゥルガはヒンズー教の破壊神シヴァの妻カリー女神の変身の一つで、血なまぐささではカリーよりは穏和な女神だと小説中で解説されています。
本多はカリー信仰の中心になっているカリガート寺院も訪れ、赤い舌を垂れて生首の首飾りをしたカリーの偶像を見ました。後に本多はアメリカの空襲で焼け野原となった東京で蓼科と再会し、「孔雀明王経」を贈られますが、この孔雀明王の原型がカリー女神であることを知りました(ウィキペディアなどで見ると少し違うようですが、三島の解説に従っておきます)。
戦後にジン・ジャンと再会したとき、本多はアジャンタの壁画の女神を連想しましたが、後にはこの孔雀明王をジン・ジャンに見るようになります。
ドゥルガの祭礼では多くの動物犠牲が捧げられます。中でも半月刀で首を切り落とされる黒い仔山羊は、本多に強烈な印象を残しました。
後にアジャンタの滝で、本多は黒い仔山羊が草を食べているのを見ました。私は『本多はインドで何を見たか』で、『春の雪』三で月修寺門跡に弔われた黒い犬のことを書きましたが、本多が思い出していたのは、カルカッタで見た黒い仔山羊だったと思われます。
牡山羊の犠牲壇で祈っていた女と、立ち去った女との間に、どうしてもつながらない断絶があったという記述は、綾倉聡子を思わせるところがあります。
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