『暁の寺』二十八で本多繁邦は、今西康から贈られた『本朝文粋』を読みます。その中の『富士山の記』で、都良香は貞観17年11月5日(西暦875年12月6日)の富士山の様子を記しています。
「天甚だ美く晴る。仰ぎて山の峯を観るに、白衣の美女二人有り、山の巓(いただき)の上に双び舞ふ」
晴れた日に富士山頂の雪煙が二人の美女の形に見えたというのですが、『暁の寺』ではこの「美女二人」は誰に当たるのでしょうか。
この場面に出てくる女性は四人います。梨枝(本多の妻)、久松慶子、鬼頭槇子、椿原夫人です。このうち、梨枝は除外してよいでしょう。残る三人のうち、一番ふさわしそうなのは槇子です。二十七で本多は槇子の白っぽい寝間着、白銀の髪、白い顔を見て「月夜の富士を望むような心地」になっているからです。そうなるともう一人は椿原夫人ということになります。ただ、この二人は踊りそうには見えませんが。
範囲を『暁の寺』全体に広げて考えると、慶子とジン・ジャンの同性愛も該当するかもしれません。私はむしろ、ジン・ジャンと双生児の姉を当てたいと思います。ジン・ジャンは踊りは上手いですが「白衣」はそぐわないような気もします。
『豊饒の海』全体まで広げると、『天人五衰』の最後で本多は月修寺に行き「白衣の美女二人」に会うことになります。
「白衣の御附弟に手を引かれて、門跡の老尼が現われた。白衣に濃紫の被布を着て、青やかな頭をしたこの人が、八十三歳になる筈の聡子であった」
本多は聡子を見て「あのときの若い美しさが木蔭の顔なら、今の老いの美しさは日向の顔だ」と思いますが、若い御附弟も「木蔭の顔」をしていたでしょう。
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