『飯沼勲も感情の戦場で死んだのか』で私は、勲が佐和から鬼頭槇子の(飯沼茂之への)密告を知らされて驚いたと書きましたが、『奔馬』を読み返して、勲は獄中ですべてを想像していたことを知りました。
三十五で勲は、自分に届けられた槇子の手紙を読んで、槇子が自分の入獄を楽しんでいるのではないかと思い、「俄かに猛って、手紙を破り捨てたいと思うことさえあった」のでした。それなら(事実上の)密告者が槇子であることは論理的に導かれそうですが、勲はそこまで考えまいとします。それでも「叢を掻き分けて行ってついに白骨に出逢うように」「誘蛾燈へいざなわれる蛾が、見まいとしても燈火のほうへ目が向くように」恐ろしいもの、不吉な観念に心が傾きます。釈放後に聞いた佐和の言葉は勲の目を「白骨」「燈火」へ向けさせたのでした。
獄中で勲は心をよそへ向け、志を固めようと、井上哲次郎の『日本陽明学派の哲学』を読み、大塩平八郎中斎の思想に触れます。平八郎の「太虚」の思想は仏教の涅槃(ねはん)に似ており「心すでに太虚に帰すれば、身死すといへども滅びざるものあり。身の死するを恐れず、ただ心の死するを恐るるなり」というものでした。これは勲の暗殺と自刃の伏線であるとともに『暁の寺』『天人五衰』への伏線にもなっていると思われます。
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