『暁の寺』は転生者が外国人女性で内面が描かれず、本多繁邦が主人公のような扱いになっている点で『豊饒の海』の中では特異です。また第一部と第二部に分けられ、第一部で転生者の幼い頃が描かれているのも他の巻とは違っています。
『奔馬』の飯沼勲や『天人五衰』の安永透はどうだったのでしょうか。少なくともジン・ジャンのように自分の前世を親や周囲に告げて困らせるようなことは無かったと考えられます。勲は成長後は完全に忘れており、洞院宮に謁見するときも父の飯沼茂之が何故怒るのか理解できません。透については、『天人五衰』十四に気になる文章があります。
「透は、ふとして、この微笑を父親からでも母親からでもない、幼時にどこかで会った見知らぬ女から受け継いだのではないかと思うことがある」
透はジン・ジャンのように、幼時に前世を覚えていたようです。ジン・ジャンと違ってその記憶は完全には消えず、「前世の記憶」が「幼時の記憶」に変わったように思われます。
松枝清顕も飯沼勲も、死が近づいて来世の夢を見ていることから類推すると、幼い頃は前世を覚えていたかもしれません。(清顕の前世はこの小説をはみ出してしまいますが)ジン・ジャンは分かりませんが、前世を思い出したか、来世で日本にいる自分を夢で見たのではないでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m