第三章の初めで、山形夏雄は秋の展覧会に出品する絵の画材を決めるため、多摩の深大寺に出掛けます。夏雄は山門の前に軽く頭を下げてから奥山への道を歩き、やがて不思議な景色を見ます。
「横雲のはざまにはまだ水いろの空がのぞかれ、密雲の上辺にすら窓のような水いろの隙間が残っていた。それは短冊を横にした形の窓であった」
「このとき夏雄は独特の、深い感覚のとりこになった。突然風景の中核へ、自分が陥没したのが感じられたのである」
「日は幾条の横雲のあいだをみるみるすべり落ちた(「すべり」はしんにょうに「一」)。そして黒い密雲のただなかにあいたふしぎな窓、あの短冊を横にしたような形の窓を充たしはじめた」
「夏雄は世にもふしぎな四角い落日を見たのである」
これを描こうと夏雄は決めました。
ここで三島は小説の言葉を用いて、画家がビジョンを見る瞬間を描き出しています。「四角い落日」など現実には有り得ないものですが、夏雄はそれを見ます。こうしたものを見ることは現実的には狂気の危険を孕むものでしょう。ゴッホも自殺する前は、こうしたビジョンを見ていたのかもしれません。
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