早春の箱根に一人でドライブに出掛けた夏雄は、峠から下る車を運転しながら、こんなことを考えます。
「僕にはスラムプなんか決して来ない。もし描けなかったら、それは自然が悪いのだ」
熱海で車を降りて桜をスケッチしていた夏雄の前に、美術大学の学生と思われる四、五人の男女がやって来ます。彼らは「不自然な無言のまま」通り過ぎますが、一人の女がこう言うのを夏雄はききました。
「あれ、確かに、山形夏雄だわ。売り出したと思って、いい気なもんね」
夏雄は傷つくより先に愕きます。「何一つ悪いことをしないのに、自分の些細な名声が、世間のどこかであの若者たちを傷つけていたという発見」をしたのです。
ここには夏雄と同じように、若くして有名な小説家になった三島由紀夫の体験が反映されているのかもしれません。
東京へ帰ると未知の人から、夏雄の絵が好きだという手紙が届いていました。中橋房江という名前。二、三日してまた同じ人から同じような手紙が来ます。
この伏線は第二部で大きな展開を見せることになります。
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