以前、深井峻吉が舟木収に日食の話をした場面を取り上げましたが、日食の話の後、峻吉と収は「今日の新聞が報じた三鷹事件の竹内被告の死刑判決」のことを話しました。
三鷹事件は1949年7月15日、国鉄三鷹駅の構内で無人列車が暴走して死者6人、負傷者20人を出した大惨事で、同じ頃に起こった「下山事件」「松川事件」と並んで「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれます。
ミステリーというより冤罪の可能性が高く、当時のアメリカ軍と日本政府が労働運動を弾圧するために利用したという見方もあります。大昔の事件のようですが、日本政府も日米関係も実質的に現在も全く変わっていませんから、私は単なる過去の事件ではないと考えています。
三鷹事件で竹内被告の死刑が確定したのが1955年6月22日で、まさにセイロン日食の2日後のことでした。
峻吉も収も「少年じみた気持で、死刑などということが好きなだけで、それ以上の関心はなかった」のです。峻吉は言います。
「事件が起ってからずいぶんになるな。しかしもう、謎みたいな事件の起る時代はすぎたよ」
決然と謎めいた世界を拒む峻吉の目を、収は美しいと思いました。
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