井上隆史氏は『三島由紀夫 幻の遺作を読む』の中で『鏡子の家』について興味深い分析を行なっています。
三島は『鏡子の家』で、世界の崩壊というテーマを『金閣寺』以上に深く追究し、二十世紀初頭のヨーロッパにおけるニヒリズムに結び付けているというのが、井上氏の見方です。三島はそのようなニヒリズムが朝鮮戦争(1950~1953年)後の日本において、一段と深められた形で現れていると考え、こうした観点から当時の日本の時代状況を描こうとしているというのです。井上氏は言及していませんが、前に取り上げた1954年の第五福竜丸事件と『ゴジラ』の大ヒットも関係すると思われます。
ところが『鏡子の家』は読者の理解を得られず、文壇の評価も厳しいものでした。井上氏はその理由として『鏡子の家』が発表された1959年(昭和34年)は「岩戸景気」と呼ばれる好景気の只中だったためではないかと述べています。
「高度経済成長」の時代も細かく見ると波があり、好景気の時期は「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」と呼ばれました。世界崩壊の問題は時代を超えた普遍性を持っていますが、作品が売れるか売れないかはこうした浮き沈みの影響をどうしても受けてしまうのでしょう。
井上氏の引用によると、三島は後年、大島渚との対談で「僕が赤ん坊捨てようとしているのに誰もふり向きもしなかった」と語っています。
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