「私は猫が大好きです。理由は猫というヤツが、実に淡々たるエゴイストで、忘恩の徒であるからで、しかも猫は概して忘恩の徒であるにとどまり、悪質な人間のように、恩を仇で返すことなどはありません」
後年の三島からは想像しにくいですが、三島は猫が好きでした。この章では祖母についても、恩を気にしすぎる人だったと書いています。
「うちの亡くなった祖母はいい人物でしたが、困った欠点があって、「あの人はまったく恩知らずだ。これだけのことをしてあげたのに、知らん顔をしている」とか、誰それがお礼を言うのを忘れた、とか、しじゅう言い暮している人でした。こういう人の人生は灰色で、人の裏切りや恩を数え立てて一生を送らなければなりません」
三島はまた恩と情事を比較して、「情事には「お返し」というものはないが、恩には「恩返し」というものがあるべきだとされている」ために、「恩というものは借金に似てきて、恩返しの美談を卑しく見せてしまう」とも述べています。即ち「恩返しは人生を貸借関係の小さな枠の中に引き戻し、押しこめて局限してしまう」のに対して「猫的忘恩は、人生の夢と可能性の幻影を与えてくれる」というわけです。
この章に関する限り、今の日本は三島が望んだ状況に近いようです。誰かに世話になったとか、そんなことをいつも忘れるのもどうかと思いますが、しじゅう気にする必要はないのではないでしょうか。私も猫のように淡々と生きられたら、と憧れる思いはあります。(なかなか出来ませんが・・)
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m