松本健一氏は『三島由紀夫のニ・ニ六事件』第三章「大本教の幻の影」で次のように記しています。
「本章で大本教=出口王仁三郎のことについてやや細かくこだわっている理由は、何か。それは、出口王仁三郎と三島由紀夫とのあいだには、友清歓真(ともきよよしさね)の帰神法が介在しているばかりでなく、もう一つ、奇妙な接点があるからだ。有栖川宮熾仁親王の血統という伝説が、これである」
私は前回、有栖川宮の伝説について触れました。補足すると、三島は長男を「威一郎」と命名するほど威仁親王の「威」が気に入っていたようです。松本氏はこの章で『豊饒の海』第一巻『春の雪』について詳しく解説されていますが、そこに威仁親王の死が書かれていることには言及されていません。
友清歓真は大本教の信者でしたが、後に離れて新宗教「神道天行居」を創設し、大正10年(1921年)に「霊学筌蹄」を著しました。この著書が三島由紀夫の『英霊の聲』に参考文献として挙げられています。三島は明らかに大本教と接点がありました。最後の演説と檄文にも「大本」の語が現れ、『春の雪』三十八には松枝清顕が「国の大本がゆらぐような出来事が起ればいいのだ」と発言する場面があります。
松本氏のこの本には書かれていませんが、私が前回書いたように「オリオン座の黒子」も注目されます。『春の雪』五では清顕の黒子が次のように描写されています。
「わけても、月が丁度深くさし入っているその左の脇腹のあたりは、胸の鼓動をつたえる肉の隠微な動きが、そこのまばゆいほどの肌の白さを際立たせている。そこに目立たぬ小さな黒子がある。しかもきわめて小さな三つの黒子が、あたかも唐鋤星のように、月を浴びて、影を失っているのである」
唐鋤星(からすきぼし)はオリオン座の和名です。
一方、出口王仁三郎の『霊界物語』特別編『入蒙記』第九章「司令公館」には次のような記述があります。王仁三郎は大正13年(1924年)宗教国家の建設を目指し、植芝盛平(合気道の開祖)らを率いて満州・内蒙古を旅しました。現地では「源日出雄」と名乗り、馬賊の盧占魁と出会いました。
「盧占魁は更に日出雄の掌中に現はれたるキリストが十字架上に於ける釘の聖痕や、背に印せるオリオン星座の形をなせる黒子等を見て非常に驚喜した」
「オリオン星座の形」とあるので、三つ星だけでなく、2個の1等星ベテルギウスとリゲルを含む四辺形が囲んでいたのかもしれません。ご教示頂けると嬉しいです。
王仁三郎と盛平たちはこの後、張作霖の部下に捕まり、盧占魁は殺されてしまいましたが、危ういところで助かって帰国しました。同じ年、外蒙古ではロシア革命の影響を受け、モンゴル人民共和国が成立しました。王仁三郎たちの行動は後の満州国につながったとも見られます。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m