前々回は『英霊の聲』と『春の雪』に注目しましたが、1959年の三島由紀夫の長編『鏡子の家』でも大本教との関係を探ることが出来ます。
主人公の一人、画家の山形夏雄はある夏の日、眺めていた富士の樹海が消え失せてゆく不思議な体験をし、絵が描けなくなりました。そこに救いの手を差し伸べたのが女性のような名前を持つ男性の霊能者、中橋房江です。夏雄が会いに行くと、房江は夏雄の一本一本の指をとって窓の光のほうへかざし、こう言いました。
「結縁(けちえん)ある者は両手の紋理に徴あり、というのは全く本当だ」
三島はこの言葉の出典を記していませんが、私が調べたところ、これは江戸時代の嘉永・安政年間(1850年代)に書かれた『幽界物語』(神界物語、仙界物語とも)の第一巻に現れる言葉だと分かりました。これは若い町医者の嶋田幸安が語った「幽界体験」を紀州藩士の参澤宗哲が記した書物で、参澤の師匠の平田鐵胤が怒って焚書してしまいましたが、大正7年(1918年)に友清歓真が大本教の機関誌『神霊界』に紹介して再び世に出たものです。下のリンクフリーのサイトで読むことが出来ます。


出口王仁三郎の『霊界物語』は、この『幽界物語』を意識して名付けられたことは間違いないと思われます。
夏雄は房江の指示に従って多摩川で「鎮魂玉」を探し、帰宅するとその前に正座して印を結びます。房江が教えた印は密教の水天の印に似た手の組み方で「帰神(かむがかり)」の時にも用いられるものでした。
こうして神秘の世界に入った夏雄でしたが、翌年の早春のある朝、枕のそばに横たえられていた一茎の水仙の花を見ているうちに、また不思議な体験をしました。後に夏雄は鏡子にその体験を語りました。
「・・僕は君に哲学を語っているのでもなければ、譬え話を語っているのでもない。世間の人は、現実とは卓上電話だの電光ニュースだの月給袋だの、さもなければ目にも見えない遠い国々で展開されている民族運動だの、政界の角逐だの、そういうものばかりから成立っていると考えがちだ。しかし画家の僕はその朝から、新調の現実を創り出し、いわば現実を再編成したのだ。われわれの住むこの世界の現実を、大本のところで支配しているのは、他でもないこの一茎の水仙なのだ」
ここに「大本」という言葉が現れました。『春の雪』や檄文では「国の大本」「日本の大本」でしたが、『鏡子の家』では「世界の現実の大本」でした。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m
2017年12月25日追加
上記「両手の紋理に徴あり」を調べると、リンク先に次のような文章があります。
私人間に生れ候へども、元より仙境に機縁有て師弟の契有る事手裡の如しとて左右の掌を見せ候に(図は略す)図の如く中指と無名指を囲みたる筋あり。将指は師匠、無名指は弟子なりと申より、私第一神幽の其実を篤志の人に伝へて現界に弘めしめ、諸人を諭し導かしめ、幽顕両界の栄を願ふなり。
将指は手の中指、無名指は薬指のことで、黒子ではないが手相に特徴があったということのようです。これは王仁三郎の「掌中に現はれたるキリストが十字架上に於ける釘の聖痕」を思わせます。