2017年11月3日の本ブログで三島由紀夫の『英霊の聲』(1966年)を取り上げたとき、デイヴィッド・リンゼイの『アルクトゥールスへの旅』(1920年)との類似を指摘しましたが、もう一度詳しく書きます。
『アルクトゥールスへの旅』の第一章ではロンドンのハムステッドで降霊術の会が開かれ、霊媒のバックハウスなる人物が若者の霊を実体化させます。主人公のマスカルは友人ナイトスポーと共にこの会に参加し、若者に質問を試みますが、若者は魅惑的な謎の微笑みを見せるばかり。そこへ招待されていないクラッグなる謎の人物が乱入し、若者の首をへし折ってしまいます。若者の顔は下品で卑しい薄笑いに変わり、やがて霊は消え去りました。
この後、マスカルとナイトスポーはスコットランド海岸の天文台から、クラッグの操縦する宇宙船で牛飼い座の1等星アルクトゥールスの惑星トーマンスに向かい、マスカルは一人でその星の沙漠に放り出されてさまざまな体験をします。その中には殺人も含まれ、自分が殺した男の顔が下品な薄笑いに変わるのを見て、マスカルは降霊術の会を思い出しました。最後に明らかになるのは、この世界は快楽の神クリスタルマンが創造した偽りの世界であり、あの薄笑いはクリスタルマンの顔だということでした。真実の苦痛の神は北欧神話に出てくるサーターとされています。
『アルクトゥールスへの旅』は全く売れず、リンゼイは不遇のうちに1945年に67歳で亡くなりました。リンゼイを再評価し、絶賛したのが『アウトサイダー』『オカルト』『スペース・ヴァンパイアー』などで知られる小説家・評論家のコリン・ウィルソンで、1965年の評論"Eagle and Earwig"(直訳は『鷲とハサミムシ』、邦訳は中村保男・中村正明、1976年『新時代の文学』(上)『文学の可能性』(下、こちらに記述)、福村出版)、1970年の"The Strange Genius of David Lindsay" (邦訳は同、1981年『不思議な天才デイヴィッド・リンゼイ』(『憑かれた女』所収、サンリオSF文庫))でした。
三島由紀夫は1966年に『英霊の聲』を書きましたが、果たして前年のウィルソンの論文を読んで『アルクトゥールスへの旅』を知っていたのでしょうか。帰神の会で霊媒が死に、顔が昭和天皇になるというのは、降霊術の会で呼ばれた霊が「死んで」偽りの神の顔になるのとよく似ています。単なる偶然でしょうか。
また『アルクトゥールスへの旅』第一章には、バックハウスが呼んだ若者の霊について、次のような文章もあります。
「この人間らしきものは死んでいたが、なぜか、それは生のあとに続く死というより、生の前段階としての死であるようだった」(中村保男・中村正明訳、文遊社、2014年)
リンゼイは輪廻転生を暗示しているようです。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m

2017年12月28日追加
これは私の見当違いかもしれません。『英霊の聲』での川崎青年の変貌は神憑りに伴う必然とも見られ、最後の昭和天皇だけではないからです。
「すでにその顔は顔変りがして・・戦いに臨んだ若い兵士のような面ざしが如実にあらわれていた」(二)
「さきほどの神霊とは明らかにちがう、しかし同じく凛々しい、圭角のある、男らしい顔に変貌した」(五)
『アルクトゥールスへの旅』では死人が全て同じクリスタルマンのにたにた笑いになるので、全く違うかもしれませんね。
ただ、最後の変貌は何なのか・・昭和天皇の生き霊が乗り移ったとも考えにくく「裏切られた霊たち」の仕業なのでしょうか。

2018年1月2日追加
この作品は荒俣宏も翻訳しています(『世界幻想文学大系28 アルクトゥルスへの旅』上下、1980年、国書刊行会)が、その解説で重要な指摘をしました。
「リンゼイは物語の最後に至って、マスカルとナイトスポア、クリスタルマン(「サーター」の誤りであろう。引用者註)とクラーグなど奇妙に対立し合う人々を同一人物だと暴露することで全展開を決済しようと考えたわけではない。それどころか、実際はそういう〈決済〉を付け加えることによって、探(一字空白あり。恐らく「探求」。引用者註)を振り出しに戻してしまったのである」
これは『豊饒の海』と同じで、三島由紀夫がよく用いる手法です。やはり三島とリンゼイは似ています。