中西信男著『ナルシズム 天才と狂気の心理学』(講談社現代新書、1987年)は興味深い本です。冒頭で美少年ナルキッソスが水仙になる神話が紹介されますが、三島由紀夫が水仙の花に魅せられたのはこの神話に関係するかもしれません。ただ『鏡子の家』の画家・山形夏雄は寝室の水仙の花を見て、宋の皇帝・徽宗が描いた『水仙鶉図』を思い浮かべております。
中西氏の本ではトーマス・マンの『ヴェニスに死す』と並べて三島の『仮面の告白』が分析されています。
「主人公の少年の回想の中に、一人の農家の若者についての思い出がでてくる。当時の東京では近在の農家の人が肥料として糞尿をくみとりにくるのだが、主人公は、やって来た若者の「地下足袋をはき、紺の股引を穿いた」姿に惹きつけられる」
「小説の冒頭に出てくるこの部分は、読者には理解しがたい奇妙な印象を与えるが、これがこの若者への理想化転移であり、若者との自己対象関係なのである。ちょうど『ヴェニスに死す』の主人公、作家アッシェンバッハが美少年タドゥツィオに魅せられて、少年の部屋の扉にもたれて「うっとりと酔いしれた」のと同じ現象なのである」
「強い男性的イメージへの憧憬は、「内心の怪物」として『仮面の告白』の中で表現されたのであるが、三島自身も、次第に小説的なフィクションの世界での表現にとどまらず、ボディ・ビルや、やくざ映画でのパフォーマンスなど、現実の世界での行動へと移行していく。そして彼の最後の悲劇へと突入していくのである」
クリーガマンに言わせると「三島の生活と作品は自己病理学を証明するよい教科書である」とのことです。
フロイトの時代は性の抑圧によるヒステリー患者が重要でしたが、コフートの時代には肥大した自我のかたまりのようなナルシストの存在が問題になり、中西氏はナルシズムに注目しました。氏は最後に次のように警告してこの本を締めくくっています。
「わが国の民主主義は、歴史的には1945年の敗戦時に与えられたもので、自分たちが努力してかちとったものではない。こうした弱い民主主義的基盤においては、ドイツのワイマール時代と同様に、政治的な動向によっては、いつ独裁支配にひっくり返っても不思議ではない」
「アイドルやタレントに熱狂するのと同じように、かかる政治家を日本人は熱狂して迎える社会心理ができあがっているように思われる。いまここでわれわれは、立ち止って、日本人の心を見直す時期に来ていることを銘記しなければならないだろう」
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