前回の投稿で第2代の綏靖天皇から第8代の孝元天皇までの時代を推定しました。第10代の崇神天皇以後は(全員ではありませんが)古事記の分注に没年の干支が記されているので、日本書紀の古すぎる年代を修正することができます。崇神天皇については258年と318年の2説がありますが、258年説を取ればスムーズに繋がります。
初代の神武天皇はどうでしょうか。綏靖天皇の前ですから、後漢の和帝(孝和皇帝、在位は88年~105年)と同時期に在位したと見てよいでしょう。ただし、和帝は79年生まれで20代の若さで亡くなったので、世代としては和帝の父である章帝(孝章皇帝、在位75~88)と同世代と思われます。
章帝は後漢を建国した初代の光武帝(光武皇帝、氏は劉、名は秀、在位25~57)の最後の年、西暦57年(建武中元2年)の生まれです。この年の1月には九州の博多にあったと言われる倭奴国が朝貢し、光武帝は金印を与えました。それから僅か一月後、2月5日に光武帝は62歳で生涯を終えました。帝位は息子の明帝(孝明皇帝、在位57~75)が継ぎましたが、同じ年に孫の章帝が生まれ、同じ頃に九州で神武天皇が生まれたわけです。三島由紀夫の『豊饒の海』で飯沼勲がタイの月光姫に転生したように、光武帝が神武天皇に輪廻転生したのではないか・・と妄想したくなります。
倭奴国は一般的には博多にあったと言われていますが、『後漢書』倭伝では「倭国の極南界」と書かれていて、少し疑問もあります。古事記や日本書紀の神話が伝えるように、南九州の宮崎県か鹿児島県にあった可能性もあるのではないでしょうか。
日本では中国の歴史書と言えば、司馬遷の『史記』と陳寿の『三国志』が圧倒的に人気があり、その間の時代を扱う班固の『漢書』と范曄の『後漢書』はあまり読まれませんが、特に『後漢書』は日本の古代を知るためにも重要だと感じました。
三島由紀夫はあれほど「天皇」に拘りながら、神武天皇に特に言及することはなかったようです。合理的な精神を備えていた三島が、古代の天皇に百歳以上の長寿が多く、世代も長過ぎることに疑問を覚えなかったのも不思議ですが、年代の問題などには興味が無かったのかもしれません。
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