三島由紀夫は自決の直前、自選の短編集『殉教』を選びました。その巻末には三島自身の解説が付されるはずでしたが、それは実現せず、高橋睦郎が解説をしました。この短編集の冒頭に収録されたのが『軽王子(かるのみこ)と衣通姫(そとおりひめ)』です。
これは古事記の下巻、第19代の允恭(いんぎょう)天皇の段にある木梨の軽王子(允恭天皇の太子)と、その同母妹である軽大郎女(かるのおおいらつめ、衣通姫は別名)の恋物語に取材したものですが、三島は大きな変更を行なっています。衣通姫を軽王子の同母妹ではなく、母である皇后の妹、父である允恭天皇の愛人に変えたことです。
実はこの変更は日本書紀を踏まえています。日本書紀でも王子と同母妹との恋が書かれているのは古事記と同じですが、衣通姫という別名はここには出てきません。その代わりに皇后の妹、衣通郎姫(そとおしのいらつめ。もちろん別人です)が登場し、允恭天皇が彼女を溺愛する様子が描かれています。王子と衣通郎姫の関係はありません。日本書紀は漢文で書かれた官撰の歴史書ですから、同母妹との禁断の恋も素っ気なく書かれているだけです。それでも二首の歌が万葉仮名の手法で記録され、うち一首は古事記とほぼ同じ歌です。古事記では多くの歌と共に二人の悲劇が語られます。
三島がこの短編を書いたのは戦後まもない昭和22年(1947年)です。妹の死の記憶がまだ生々しく残り、そのままの設定で書くに忍びなかったのではないか・・と思われます。
三島は『日本文学小史』の第二章「古事記」でも、この物語を取り上げていますが、自分の短編には触れていません。中巻の第12代の景行天皇の段にあるヤマトタケルの物語について詳しく記した後、「より純粋さを欠き、より典型性を欠いた形ではあるが、同じような悲劇は繰り返される」として紹介されます。この『日本文学小史』は第一章で「方法論」を述べ、「古事記」の後は「万葉集」「懐風藻」「古今和歌集」「源氏物語」と続きましたが、やはり自決のために未完となりました。
三島の遺稿には、この短編集『殉教』のテーマは「異類」であり、『軽王子と衣通姫』の題に続けて「貴種流離(きしゅりゅうり)」と書かれているとのこと。二人の死の後、衣通姫の姉の皇后が九十歳の長寿を保ったこと、姫から皇后のうなじに帰った首飾りをかけたまま柩に納められたことを述べて短編は終わっています。
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