三島由紀夫は『軽王子と衣通姫』を収めた短編集『殉教』に『三熊野詣』も収めました。ここでは折口信夫を想わせる人物「藤宮先生」を「老人の異類」(解説で高橋睦郎が紹介する三島のノートより)として描いています。常子は旅にお伴しながら思います。
「思うに、先生の故郷が熊野であることは確かなことだが、その故郷を頑に避ける先生のお気持も、どんな事情があるか知らないが、これまた確かなことである。すると、先生の故郷は、あたかも常世(とこよ)の国、黄泉(よみ)の国、濃い緑のかげの陰湿な他界だとも考えられ、それ故にこそ、先生はそこを恋いつつ怖れて、こうして旅に来られたとも思えるではないか。黄泉の国から来た方だとすると、先生にはそのすべての特徴が具わっているように感じられるのであるが・・」
高橋睦郎は次のように評しています。
「この些かあからさますぎるまでに折口信夫博士をモデルにした短編で、三島氏の描きたかったものは何だろうか。思うに、この意地悪すぎるほど意地悪な短編で、氏が罰しようとしたものは、何よりもまず、氏じしんに訪れるはずであった老いであろう」
日本書紀によると神武東征のとき、熊野の新宮市付近で一行が暴風に遭い、神武の二人の兄が入水しました。兄の一人である三毛入野命は「常世郷(とこよのくに)に往でましぬ」と表現されています。岩波文庫の『日本書紀』は折口信夫の解釈を載せます。
「折口信夫によれば、稲飯(いなひ)命・三毛入野命は、神武天皇の威力の源泉となった威霊の名で、稲の霊・御食野(みけの)の霊であって、この二魂が遊離した(入水した)結果、つぎの熊野荒坂の津の「をえ(やまいだれに「卒」の字。威霊の去った後の萎微)」が生じたと解釈した」
既に戦死した五瀬(いつせ)命を含めて三人の兄を失った神武は、なおも息子のタギシミミ命と軍を率いますが、荒坂の津で「神、毒気を吐きて、人ことごとくをえぬ」という事態になります。よく分かりませんが、まるで毒ガス攻撃を受けたかのようです。古事記では「熊野村に到りましし時、大熊ほのかに出で入りて即ち失せぬ。ここに神倭伊波礼毘古命、たちまちにをえまし、また御軍も皆をえて伏しき」と書いてあります。
危ういところを熊野の高倉下(たかくらじ)に救われますが、この高倉下がまた、謎の人物なのです。
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