イギリスの風変わりな作家・評論家のコリン・ウィルソンは1931年に労働者階級に生まれ、職を転々としながら大英図書館に通い、25歳で発表した評論『アウトサイダー』は世界的に話題を集めました。今振り返ると、この本は「引きこもり」解明の出発点だったと見なせるかもしれません。三島由紀夫は1957年5月6~8日の東京新聞で(「私は書評を書くのではない」と書きながらも)書評を発表し、後に虫明亜呂無が編んだ「三島由紀夫文学論集」Ⅲにも収録されています。
「これは大そう面白い本である。盛沢山な内容を持った本である。そうして日本人には大いに親しみやすい本である」
「ウィルソンのいわゆる世外の人の人名簿は、「地獄」のアンリ・バルビュスにはじまり、ヴィリエ・ド・リラダン、H・G・ウェルズ、T・S・エリオット、ニイチェ、キェルケゴール、サルトル、カミュ、ヘミングウェイ、あるいはゲーテ、ヘッセ、T・E・ロレンス、ヴァン・ゴッホ、ニジンスキー、トルストイ、ドストエフスキー、ウィリアム・ブレーク、ラーマクリシュナ、バーナード・ショウ等々に及んでいる」
「こういう人名簿を一覧してすぐ気のつくことは、知らない名前の沢山あらわれる外国の文学史とちがって、日本の読者にかなり親しまれている芸術家が、その大半を占めているということであろう」
「ウィルソンはもちろんインサイダーたる大芸術家の存在もみとめているので、シェイクスピア、ダンテ、キーツなどはそうだという。そしてウィルソンの定義によれば、アウトサイダーとは、人間存在の不自由さを常人よりも強烈に感じ、それゆえにこそ自由を求めて、あくまでおのれの意思によって、世界を肯定しようとねがう人間である」
三島がまず強調するのは、日本と西欧における芸術家と市民の関係の違いです。
「芸術家の自由の問題と市民的自由の問題とが、西欧では今やはっきりした対立関係に立っているのに日本では今なお相互補償関係に立っており・・これには勿論、市民および市民道徳の未成熟という理由もあろうが、ともあれ、今もなお市民と芸術家との間には真の対立関係はなく、芸術は、市民によって恕されている。いわば大目に見られている。その好例が太宰治氏であって・・」
「さて一方この東洋的アウトサイダー、補償的アウトサイダーは、神仙的文人気質の一脈を伝え、困ったことにはなはだ幸福なのである」
三島は辛辣に日本人的感想を述べながらも、ウィルソンの問題提起の重要性を認めます。
「アウトサイダーは決して芸術家の問題にとどまるものではなく、ウィルソンはむしろ、「芸術家兼心理学者、直観の思想家」たることを、その救済の一つの方途としている。それはあくまで文明全体の問題であり、芸術と無縁の人たちの中にも、れっきとしたアウトサイダーのふえつつあるのが現代である」
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