三島由紀夫の『豊饒の海』では輪廻転生が描かれますが、稲垣足穂は異なる転生観を持っていたようです。『文芸』1968年10月号の「名著発掘」で足穂はフェヒナー著『死後の生活』(草間平作訳)を次のように評しています。

原著者フェヒナーとは、実験心理学の始祖であり、且つ「フェヒナーの法則」で知られているグスタフ=テオドル・フェヒナーのことである。そこには人間は三回誕生するものだと述べられている。
一、お母さんの胎内(全き眠りの境涯)
二、睡眠と覚醒が互いに循環する世界(現世)
三、永久の覚醒生活(死後)
ボクは読んで行きながら一種無気味な気持におそわれた。奇想よりも先に、なにかしら真相を衝いていると思ったからであろう。

スウェーデンボルグの転生観は足穂、フェヒナーに似ています。高橋和夫氏は『スウェーデンボルグの思想』で次のように述べています。

受胎によって両親の霊魂の枝分かれとして新たに創られる人間の霊魂は、いったん創られると不滅であり、死後も人間は完全な霊的身体を持って、霊界で永遠に生きる。したがって、霊となった人間がこの世へ帰還して何かに生まれ変わるということはありえない。
しかしスウェーデンボルグは、一般に輪廻と呼ばれる現象のような霊的現象が、時おり起こることがあると言う。
それは、霊界で一〇〇年も一〇〇〇年も生きている霊が、何らかの理由で自分の記憶を地上の人間の記憶へ入り込ませることによって起こるという。地上の人間と霊とは、双方が無意識のまま「照応」によって交流するのが普通であるが、突発的な事態、つまり一種の憑依が起こるとき、取り憑いた霊の過去の記憶が、取り憑かれた人間自身の前世の記憶のように、当の人間には思われるのである(『天界と地獄』256)。

前世はともかく、来世は「あるべき」のような気がしますが、残念ながら私は霊界のことは分からないので「気がします」としか言えません。「ない」と断定するのも科学的とは言えないでしょうが、こういう問題は慎重を要します。永久に解決はしないかもしれません。
スウェーデンボルグは自らの死を1772年3月29日と予告し、その日に亡くなりました。稲垣足穂は志代夫人が亡くなった2年と1日後、野尻抱影が亡くなる5日前に死去しました。三島由紀夫の自決は今更言うまでもありませんが、不思議なことはいろいろあります。あるいは、ユングの言う「共時性」でしょうか。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m

2018年3月27日、改題し追記しました。