『禁色』の老作家・檜俊輔は美青年・南悠一に全財産を遺贈する遺書を残して自殺する前、みずから「檜俊輔論」を書き上げます。その中で十六歳のときに書いた短い寓話『仙人修業』を取り上げ「彼の後年の主題が悉く含まれているのを見て、われわれは愕くのである」と語ります。

「私」は仙人たちの洞窟に使われている侍童である。侍童はこの山岳地帯の生まれで、幼時から霞以外のものを喰べたことがない。(中略)ある悪賢い村人が、悪疫にかかった羊の肉を売った。これを喰べた仙人たちは、毒に中って、次々と斃死した。毒の肉の売られたことを知った善良な村人たちは、心配して山頂へ登ってきたが、霞だけしか喰わなかった不老不死の仙人たちが悉く死に、毒の肉を喰った侍童が元気でいるのを見て、かえって侍童を仙人として尊崇する。

檜俊輔は続けてこの作品を解説しますが、これは三島由紀夫による三島由紀夫文学の解説と見てもよいように思われます。

ここで語られているのは、云うまでもなく、芸術と生活に関するサティールなのだ。侍童は芸術家の生活の詐術を知る。・・侍童は生まれながらに、この詐術の極意、生活の秘鑰(ひやく)を握っている。つまり彼は本能的に、霞をしか喰べないので、無意識の部分が芸術家の生活の最高の詐術であるという命題を体現しながら、同時に無意識なるが故に、にせものの仙人たちに使役せられているのである。仙人たちの死によって、彼の芸術家の意識がめざめる。・・この意識化、天賦の才を最高の詐術として利用すること、これによって彼は生活を蝉脱して、芸術家になるのである。

俊輔が死んだ翌朝、悠一は散歩しながら「一千万円、花が何本買えるだろう」と心に呟き、駅の前に二三人の靴磨きが並んでいるのを見て「まず靴を磨いて」と思うのでした。
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