虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)とは不思議な名前です。彼は三島由紀夫から自決の直前、その文学論集を編集して本にするように依頼された人物です。野球・競馬を始めスポーツに関心が深く、文芸批評、翻訳、映画、音楽など幅広い分野で名文を残しました。そのエッセイ集『女の足指と電話機・回想の女優たち』に収められたエッセイ『野の少年期』で、虫明は三島由紀夫に触れています。

少年少女とはいえないが、しかし、作品のモチーフをほとんど少年少女期において歌壇にデビューした春日井健氏の作品も、特異な存在を誇っている。十代のおわりだった氏の処女歌集に故三島由紀夫が序文を書き、藤原定家の『明月記』の有名な一節「紅旗征戎非吾事」を引用しているのも興味ぶかい。春日井健氏の処女歌集は一九六〇年、すなわち、昭和三十五年に発行されている。ことわるまでもなく、この年は例の六〇年安保の年である。

虫明は続けて「紅旗征戎非吾事」の意味を解説し、三島から文学論集の編集を依頼されたとき、『明月記』を中心とした「古今集と新古今集」についてのエッセイを第二部の軸においたこと、三島がそれに深く満足したことを書きました。さらに三島の自決にも言及します。

社会も、政治も、戦争も、私にはなんの関係もない。私に必要なのは詩であり、恋愛であり、美である、ということをきわめて複雑な、現代人的な型で表現するために、彼はあえてあのような死にかたを選んだのである。彼は自分がいちばん嫌うものを、世間にむけてはわざと美化してみせ、さも理想化しているように見せる一種独特な表現癖があった。

「なんの関係もない」とまで言ってしまうと極論かもしれませんが、私は「二次的、派生的な問題である」と考えています。三島の死の背景には三島由紀夫=平岡公威個人の問題、戦後日本の問題、現代世界の問題が複雑に絡み合っているように思われます。
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