澁澤龍彦は『夢の宇宙誌』に収められた論文『アンドロギュヌスについて』の中に「生殖に奉仕しない愛欲について」という一章を設け、ゾウリムシの接合に注目しています。

淡水の沼や溝に棲む微小な滴虫ゾウリムシは、一般に分裂による増殖を行う。すなわち、己れの唯一の細胞を分裂して、二つの相似たゾウリムシに分れるのである。この分裂は日に一度ないし二度行われるので、二十日もたたぬうちに、たった一匹のゾウリムシから百万匹もの同類が誕生することもある。一年もたてば、天文学的数量に達するゾウリムシの大群がうじゃうじゃ生まれる。性も必要とせず、愛も必要としない繁殖。しかるに、時あって、彼らのあいだに愛の必要が生ずるのは、いかなる神の摂理によるものであろうか。

三島由紀夫の小説『美しい星』で邪悪な宇宙人たちと論争する火星人・大杉重一郎の言葉は、この澁澤の疑問に裏側から答えています。

「愛と生殖とを結びつけたのは人間どもの宗教の政治的詐術で」と重一郎は平然とつづけた。「ほかのもろもろの政治的詐術と同様、羊の群を柵の中へ追い込むやり方、つまり本来無目的なものを目的意識の中へ追い込む、あの千篇一律のやり方の一つなのだね。性的対象への欲望は、滑りやすい暗黒の中を手さぐりするようなものなのに、最高の目的意識と目される愛の蝋燭をその手に持たせると、対象はあたかもありありと神々しく照らし出されたような錯覚を与える。(中略)
人間はこの蝋燭の光りをたよりに生殖を営むことに慣れてしまった。われわれは彼らを、愛のない壮大な生殖の場面、あの太古の宇宙的な闇の中で営まれた生殖の場面へ、引戻してやらなくてはならない」

澁澤も「ああ、性を生殖に奉仕させる理論の、ブルジョワ的俗悪さよ!」と嘆きながら、次のように結論します。

性とは、詮じつめれば、二元的になった生命の一つの表現形式、としか言えないのではなかろうか。性的結合は、この二元性を解消しようとする一つの方法、単なる一つの方法であって、それ以上でもそれ以下でもないのではないか。ゾウリムシの接合から導き出される必然的帰結は、このようなものである。

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