三島由紀夫は時間をよく守る人でしたが、『天人五衰』では「時間」について次のように書いています。

・・利子や各種の利得は、時を刻むにつれて少しずつ増大していたのである。
人々はそうやって財産が少しずつふえてゆくと思っている。物価の上昇率を追い越すことができれば、事実それはふえているのにちがいない。しかしもともと生命と反対の原理に立つもののそのような増加は、生命の側に立つものへの少しずつの浸蝕によってしかありえない。・・そのとき人は、利子を生んでゆく時間と、自分の生きてゆく時間との、性質のちがいに気づく。

コリン・ウィルソンはSF小説『賢者の石』で「時間」を次のように説明しています。(中村保男訳)

何よりもまず、時間とは何か。それは意識の働きであり、それ以外の何ものでもない。外界で起こっていることは「過程」すなわち新陳代謝であり、そこには時間はない。時間旅行をテーマとした従来の物語がひどく理屈に合わない莫迦莫迦しいもので、その種の時間旅行があれほどたくさんのパラドックスを生じさせるのは、このためである。(中略)外に横たわる「時間」などというものはないのだ。「時間」は、過程という観念を勝手に抽象したものにすぎない。「時間旅行」と言えば尤もらしく聞こえるが、厳密に「過程内の旅行」あるいは「新陳代謝を通りぬける旅行」と言ったとすれば、それが莫迦げたたわごとであることが一目瞭然となる。

アインシュタインが相対性理論を発表して、時間旅行は半分、あるいは四分の一は可能だと考えられるようになりました。それは未来への片道旅行に限られます。これならパラドックスは発生しません。
現代人はまるで時間の奴隷で、時間とお金以外には何も存在しないかのように生活しています。「時間を無駄にするな」などと言う人は、恐ろしい勘違いをしているのではないでしょうか。
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