私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目のない、或る經済大國が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく氣にもなれなくなつてゐるのである。

三島由紀夫は最後の年の7月7日、サンケイ新聞にこう書きましたが、現在は彼の予想通り、いや、もっとひどいです。日本は既に大国でも先進国でもありません。現在の総理大臣は、祖父の劣化コピーのようです。安倍晋三ほどに「恥」「倫理」「道徳」「知性」のカケラもない、腐った肉のような指導者は、歴史上にいなかったでしょう。もっとも彼は「指導者」ではありませんが・・アメリカの「ジャパン・ハンドラー」マイケル・グリーンは「日本の総理大臣は馬鹿にしかやらせない」と言っているそうですね。よく見ると大臣ばかりでなく、一部例外を除いてほとんどの議員も同じです。国民も同じです。私も同じです。
本当に、日本はこうなるしか無かったのでしょうか。明治維新、第二次世界大戦の敗戦で定められたことなのでしょうか。
戦後の歴代の総理大臣でたった一人、その地位にふさわしい人物がいました。田中角栄です。彼だけが、本気で日本国民のことを考えていました。「日本はアメリカの属国でいるしか仕方がない」と諦めませんでした。本当に、彼だけが本気でした。私が何度見ても感激して泣きそうになるのは、1972年9月29日、固い握手を交わした周恩来と田中角栄の映像です。
前回の投稿も、今回に関連します。そもそも「巨乳」などという無粋な言葉は、昭和時代にはありませんでした。もっとも、それほど高尚な言葉があったわけでもないですが(笑)かとうれいこさんの芸名も、何故ひらがなばかりなのでしょうか。「れいこ」は彼女の前の芸名「星野麗子」から取ったと思われますが「加藤麗子」では画数が多くて難しすぎると言ったら、三島由紀夫は大笑いするでしょう。イエローキャブ現象も、間違いなく日本の劣化を表しています。
かとうれいこさんは「和製マリリン・モンロー」と言われ、美貌と非凡なスタイルを持つ美女であった(と言っては失礼でしょうか。「ある」と訂正します)ことは間違いないですが、昭和時代には彼女やモンロー以上のスタイルを持つ美女がいました。それが「越山会の女王」こと佐藤昭子さんです。もちろん私は女性の価値がスタイルだけで決まるなどとは全く思っておりませんが(こんな言い訳を付け加えると却って嘘っぽく聞こえますね・・私の弱さかもしれません)田中角栄が戦後唯一の本物の総理大臣だったことと、佐藤さんの美しさが私の中では自然に結び付くのです。
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