7月28日のブログで『宇宙女子』を紹介し、宇宙タレントの黒田有彩さんが「アポロでアメリカ人が月に降り立った」ことに疑問を持っていたことを書きましたが、あの直前に手塚治虫の『火の鳥』の話が出てきます。

黒田 小学校の5~6年ぐらいだったかな。・・最初の物語は古代から始まって、次の物語は超未来、そして昔と未来の話が交互に続いて、だんだん現代に近づいていく。最後は手塚治虫さんが亡くなってしまったので完結はしていないんですけど、あれを読んだ後の気持ち悪さって、なかなか言葉にしにくいです。
加藤 ・・私も『火の鳥』は小学生のときに読んだんだけど、すごく心に残ってる章があるんですよ。宇宙船が簡単に買える時代に、地球上で恋に落ちた若者2人が、地球上では結ばれないから宇宙に逃げよう、という話。覚えてます?
黒田 ありました、ありました。
加藤 それで宇宙に行くんだけど、男性のほうがすぐに死んじゃって、女性がひとり荒野の星に降り立って、ロケットも全部壊れてしまったので、もう地球には帰れない。
黒田 そこで男ばっかり生まれるんですよね。
加藤 そうそう。それで、女性は自分の子どもとのあいだに子どもをどんどん作って、自分を冷凍して仮死状態にしたりしながら生きながらえて、自分と自分の子どもだけの一大帝国を作り上げるという。
黒田 よく覚えてます。(139~140頁)

この物語は旧約聖書のパロディのような『望郷編』です。有彩さんは大学の先輩のシルビアさんに遠慮して指摘していませんが、女主人公(ロミ)が作り上げる王国は、地球人と宇宙の不定形生物「ムーピー」との混血によるものとされています。黒田さんはもう一度「あの話は、たしかに気持ち悪いです」と繰り返し、『火の鳥』全体について「読んだ後に虚無感にとらわれるというか、なんだかすごい気持ちにさせられますよね」と言われます。『火の鳥』の最後は『未来編』で、西暦3404年に人類は核戦争で滅び、不死身になった主人公(マサト)が30億年後の人類再生を見届けますが、これは太古の『黎明編』につながるとも解釈できます。
手塚治虫は三島由紀夫とほぼ同世代です。黒田さんと加藤さんが三島の小説を読まれたかどうかは存じ上げませんが、三島と手塚の作品は反対のようで実は似ているのではないかと思います。『豊饒の海』も、黒田さんの言葉を借りれば「気持ち悪さ」「虚無感」の残る小説です。「虚無」と「救済」の果てしない闘争が、歴史にも個人史にも続くのでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m