昭和天皇が嫌っていた、又は苦手にしていた人物として、評論家の松本健一氏は3人の名前を挙げました。
1人は言うまでもなく三島由紀夫。2人目は二・二六事件で刑死した思想家、北一輝(きた・いっき)。3人目は大本教の二大教祖の一人で「聖師」と呼ばれる出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう。義母の出口なおは「開祖」と呼ばれる)。
しかし私は、昭和天皇は三島由紀夫に共感する部分があったのではないかと思うようになりました。保阪正康氏の『天皇陛下「生前退位」への想い』150~151頁で、木下道雄『側近日誌』からの引用として昭和天皇の言葉が記されているからです。

元来軍人の一部には戦争癖がある。軍備は平和の為にすると口にしながら軍備が充実すると、その力を試めしてみたくなる悪い癖がある。これは隣人愛の欠如、日本武士道の頽廃である。手段を選ばず国際信義を顧みざる軍の行動は、その当然の結果として列国の信用を失うに至り、相互信頼の欠如はまたその当然の結果として彼我両国民の間に猜疑誤解の念を深からしめるに至ったのである。これが今次の戦争の根本原因である。

昭和天皇の口から「武士道」という言葉が出たとは、私は驚きました。三島由紀夫も遺言状とも言える建白書に「武士道と軍国主義」というタイトルをつけ、昭和の末期的な軍国主義を武士道の伝統と混同してはならないと訴えています。
保阪氏の本では、一昨年の8月8日に天皇の生前退位の意向を伝えたビデオメッセージを「平成の玉音放送」「平成の人間宣言」と呼び、その意義を強調しています。生前退位は実に200年ぶりのことで、第一次・第二次世界大戦はおろか、明治維新より昔のことです。共同体の繋がりも歴史との繋がりも崩壊が進んでいる現在、多くのことが根本から考え直されなければならないと思います。
さらに保阪氏は129~130頁で、田中角栄の重要さも強調します。

考えてみてほしい。私たちはなぜ、戦後71年を経た今も、太平洋戦争のことを語り続けているのか。あの戦争をこれほど熱心に語っている国は他にない。
それは、国民の間に「釈然としない空気」があるからだ。私たちの国はなぜ、特攻や玉砕をやったのか。日本は、人の命を何とも思わないような戦争をするような国家だったのか。そんな疑問が釈然としないから、今後も、私たちは語り続けることになる。(中略)
そのための補助線の役割をはたしてくれる1人が、田中角栄だ。私たちは田中角栄を通して、あの戦争を、昭和の姿を、そして戦後民主主義を問い直すことができる。田中の存在は、私たちが歴史を考えるうえでの補助線であり、田中自身が、その役目を引き受けてくれていると考えられる。

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