1985年(昭和60年)2月27日、脳梗塞で倒れた田中角栄は、ついに回復することなく、1993年(平成5年)12月16日、75歳の生涯を閉じました。その葬儀に参列した中日新聞の元「田中番」記者、大林主一氏は『最後の「田中番日記」』と題する記事を書いています。少し長いですが、今となっては貴重な史料でもあり、一部を引用しましょう。

25日午後1時から東京・青山葬儀所で営まれた田中家と自民党の合同葬には国会議員から一般国民まで約五千人が別れを惜しんだ。祭壇には写真のほか、田中の功績をたたえるものはない。
さる16日、田中が東京・慶応大学病院で死去した時、政府は葬儀と叙勲問題で困惑したという。首相経験者が亡くなれば葬儀は最高で国葬、叙勲は低くても勲一等旭日大綬章というところだ。しかし、田中はロッキード事件で公判中。首相経験者で死亡時に被告として刑事訴追を受けているという前例はない。結局、政府は葬儀にタッチせず、叙勲も見送られた。
田中自身「ボクは勲三等の勲章を持っているよ。もっとも、三軒茶屋(東京・世田谷)の骨董屋で買ったものだけどね」と冗談を言って笑っていたことがある。今、田中に残された日本の勲章といえば、一兵卒として旧満州に派遣され、病を得て除役となった時もらった「軍人傷痍(しょうい)記章」だけ。
学歴も門閥もない田中は故郷・新潟を強く愛し、首相在任中の新潟県民の集いで「内閣総理大臣に就任するのは、前線に向かう一兵卒のような気持ちだ」とあいさつしている。政治という過酷な前線で傷を受け、一兵卒として灰に帰った田中には、この「軍人傷痍記章」こそがふさわしい。

あまり知られていませんが、角栄は陸軍の二等兵として当時の満州国に派遣され、ノモンハンでソ連軍と戦いました。兵卒出身の首相は角栄だけです。
角栄に勲章を贈らなかった日本政府は、1964年(昭和39年)12月7日、とんでもない人物に勲一等旭日大綬章を贈りました。アメリカ空軍のカーチス・ルメイ大将。1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲を指揮し、10万人の日本人を焼き殺した人物です。
12月7日、わざわざ真珠湾攻撃の記念日を選んだのも意味がありそうです。日本軍は真珠湾の軍港を攻撃しただけで、ホノルルの市街地は攻めませんでした。ルメイは平気で東京の市街地を爆撃しました。
ルメイに勲章を贈った首相は佐藤栄作、安倍晋三の大叔父。防衛庁長官は小泉純也、小泉純一郎の父です。さすがに「東京大空襲で10万人を焼き殺した功績」ではなく「航空自衛隊の創設に尽力した功績」だそうです。
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