前回の投稿で卑彌呼や趙嫗のことを書いたので、また古代史の謎を考えてみたいと思います。
林房雄は『天皇の起原』で『上記(うえつふみ)』『富士古文書』などの古史古伝を挙げて天皇の歴史が想像以上に古いことを主張しますが、中国の史書を読むとさすがに無理があるかと思います。以前に当ブログで初代の神武(じんむ)に続く2・3・4代の天皇(綏靖(すいぜい)・安寧(あんねい)・懿徳(いとく))の名前が後漢の摂政皇太后綏・安帝・少帝懿に類似すること、5~8代の天皇(孝昭・孝安・孝霊・孝元)の名前が後漢の皇帝と同じく「孝」から始まることを指摘しましたが、これでも十分に古いと思います。
『魏志倭人伝』の邪馬臺国の所在については、距離と方位をそのまま信じると九州の遥か南の海上になるので、方位だけを信じれば九州説になり、距離だけを信じれば畿内説になります。冒頭に「倭人は帯方の東南大海の中にあり」とあるように、九州は朝鮮半島から見て東南にありますが、日本列島は九州から東南ではなく東北に延びています。このため方位の誤りが生じたのではないでしょうか。
「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり」の「東」も「北」に読み替えると、畿内から琵琶湖を渡った越(こし)の国(北陸地方。福井県・石川県・富山県・新潟県)になります。越の国は日本書紀の一書では「越洲(こしのしま)」と書かれ、大八洲(おおやしま)の一つとされています。
「また侏儒国あり、その南にあり。人長三、四尺、女王を去る四千余里」は難しいです。「侏儒(しゅじゅ)」は小人の意味で、身長70~90センチという記述もこれに符合しますが、もともとは表音文字で小人伝説は後から生じた可能性も考えられます。それなら石川県の能登半島の「珠洲(すず)」はどうでしょうか。「珠洲」は大伴家持の和歌にも現れる古い地名で、万葉集でも同じ表記です。
「また裸(ら)国・黒歯(こくし)国あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし」はハワイや南米を考える人もいますが、それでは気宇壮大に過ぎるような気がします。「黒」という色は黒人や黒潮のイメージから南方と思われがちですが、中国の四神(玄武・青龍・白虎・朱雀)思想からは玄武の「玄」と同じで、北方を表す色です。中国とロシアの国境を流れるアムール川は中国では黒龍江と呼ばれ、古くは黒水とも呼ばれました。『ハチのムサシは死んだのさ』の作詞者と同姓同名の内田良平は、明治時代に日本の右翼運動の源流になったと言われる団体「黒龍会」を設立しました。黒龍会のもとになったのは頭山満(とうやま・みつる)が設立した「玄洋社」という団体です。
私が裸国・黒歯国の候補として挙げるのは、山形県の出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)です。羽黒は歯黒に通じ、湯殿は裸に通じます。江戸時代の儒学者、荻生徂徠(おぎゅう・そらい)がこの説を唱えています。
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