この曲のタイトルには私の生年が入っています。発売は1980年でしたが、橋本治の『桃尻娘』が面白いと言っていた片想いの女子大生がこの曲も好きだと話していたのを覚えています。その時点で数年前の懐メロでした。
前年の1961年は、上下をさかさまにしても変化しない年です。(9をさかさまにすると6、6をさかさまにすると9になるので)次回は6009年なので、生きて迎えることはないでしょう(笑)
1962年はキューバ危機が起こり、アメリカとソ連が核戦争の一歩手前まで行きました。三島由紀夫も核戦争の恐怖を宇宙的な観点から描いた異色の小説『美しい星』を書いています(最近、映画化もされましたが、設定を現代的に変えたというので見る気がしません)。日本では「ケネディが偉い!」ということになっていますが、ケネディは「キューバのミサイルを撤去しないと戦争するぞ!」と脅したのですから、撤去したフルシチョフのおがげで人類は助かったのではないでしょうか。
ケネディは1961年に「アメリカは1960年代のうちに人間を月に送る」と演説してアポロ計画を始めました。この計画がハリウッドを巻き込んだ国家的な詐欺だった疑いがあることは、当ブログでも指摘した通りです。
そうは言っても、私はケネディが嫌いというわけではありません。アメリカの大統領にしてはマシな人物であり、それゆえに「アメリカの闇」に嫌われて暗殺されたのでしょう。
田中角栄はジョン・F・ケネディに会うことはありませんでしたが、弟のロバート・ケネディ司法長官が来日した1962年2月6日、自民党の政調会長として会っています。このときの田中政調会長の発言が大問題になりました。
「沖縄返還の前提条件として、日本が早急に憲法改正をし、再軍備を進めるよう、米国から提起したらどうか」
角栄としては沖縄問題の突破口を作りたかったのでしょうが、東京タイムズの早坂茂三記者にスクープされてしまいました。朝賀昭氏によると、早坂記者は「大騒ぎになって気がとがめたのか」目白に出向き、角栄から「よく来たな。今度はオマエさんの勝ちだ」と握手を求められたそうです。このような発言をしていた角栄が十年後、首相として国内の親台湾派を押し切って中国との国交正常化を果たし、早坂茂三は記者をやめて佐藤昭子と並んで角栄を支える秘書になるのですから、歴史は分からないものです。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m