1982年11月29日(月曜)の朝日新聞は「東大駒場に機動隊100人、けんかの通報、4人を逮捕」と題する記事を載せています。社会面の小さな記事ですので、全文を引用します。

28日午後4時50分ごろ、東京都目黒区駒場3丁目、東大教養学部寮内で、サークル同士のけんかがあり、1人がけがをした、との通報で目黒署員が正門前に駆けつけたところ、「解決したので敷地内から出てほしい」とする学生側と押し問答になった。集まってきた約六、七十人の学生がパトカーなど3台と署員8人を取り囲んだため、機動隊員約百人が出動した。
午後9時半すぎ、機動隊員が署員を救出しようと学生を排除にかかった際、男性4人を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。
逮捕された4人は黙秘している。調べによると、押し問答しているうち、署員が写真を撮影したことから、騒ぎが大きくなり、取り囲んだ学生がスクラムを組み始めた。逮捕された4人は、排除しようとした際、機動隊員に暴行したため、と同署はいっているが、残された学生側は「暴行はしておらず、不当逮捕だ」と話している。

「寮内」とあるのは東大の学生寮「駒場寮」のことです。私はこの頃、もうひとつの学生寮「三鷹寮」に住んでいて、日曜の夕方から夜に起きたこの事件のことは知りませんでしたが、月曜に出てきて事件を知らせるビラを見て驚きました。いつも学生自治会のビラには委員長と副委員長の名前があるのに、副委員長の名前しか無いのです。逮捕者4人の中に委員長が含まれていたのです。中国語クラスの会合でも、騒然とした雰囲気でした。ちょうど自民党総裁選で田中角栄の支持を受けた中曽根康弘が勝利し、中曽根内閣が発足したばかりです。「絶対、中曽根が勝ったのと関係あるよね」という声があがり、私もそう思いました。
副委員長がやって来て「断固、許しがたい暴挙に抗議しましょう」ということになり、街頭でデモ行進を行いました。安田講堂が戦場になり、駒場で三島由紀夫が東大全共闘と討論した時代は既に昔のことでしたが、この頃まではまだ名残があったように思います。
この事件の前の週に駒場祭があり、クラスで演劇も行いました。私は運動神経ゼロでセリフの覚えも悪いので、最初から最後まで舞台の端に立っているだけの役でした。(二言三言あったかも?)日本神話のオオクニヌシの国譲りの話でしたが、「流れに押し流されてゆけばいいのだ」という感じのテーマには納得出来ず、「みんな老成してるな」と思ったのを覚えています。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m