歴史を調べていると、孫引きの二次史料は危ないなと思うことがよくあります。今日は俳優の宝田明氏と1959年ミス・ユニバースの児島明子さんを取り上げます。
このお二人は1966年4月29日に結婚されましたが、ウィキペディアの「宝田明」の項目では「1964年」に結婚と書かれていたので訂正しました。ウィキペディアはまさに「孫引き」なので仕方ない面もありますが、子供の数まで間違っていたのは驚きでした。
週刊朝日の1974年の記事では2男1女がいるとされ、子供の名前と順序も詳しく書かれています。ところがウィキペディアでは「2女」となっており、ネット上で広がってしまっていました。
調べてみると、キネマ旬報社が2012年に出版した『現代日本映画人名事典・男優篇』の「宝田明」の項目に同じことが書かれていることが分かりました。なぜ事典編集者は間違えたのか?
私は内部事情は分かりませんが、推測することは出来ます。ご夫妻の2男1女のうち、有名なのは長女で歌手の児島未散(こじま・みちる)さんです。長く芸能活動を休止しておられましたが、再開されたようです。
ご夫妻は1984年に離婚されましたが、数年後に宝田明氏の「隠し子疑惑」が浮上しました。宝田氏の娘と称する女性が雑誌のグラビアに出たのです。おそらく事典編集者はこの有名な二人をご夫妻の子供と勘違いしたのではないでしょうか。
1953年にミス・ユニバース世界大会で第3位になった伊東絹子さんは、児島さん以上の社会現象となり、私が大昔に読んだ子供向けの日本史の本にも載っていました。この大会は7月17日の夜(アメリカのカリフォルニア州の現地時間、日本では18日)に行われましたが、孫引きの年表で「7月16日」と書かれたものがあり、ネットでも広がっていました。
一つ一つの事象は小さなものですが、やはり事実は大切にしたいものです。
ちなみに三島由紀夫はミスよりミスターに関心があったようで、『鏡子の家』には1954年の「ミスター・ユニヴァース」レオ・ロバートの名前が出ています。舟木収のボディビルの先輩・武井が彼に傾倒しており、肌身離さず持ち歩いているレオの全身像の写真をみんなに見せながら熱弁をふるいます。
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