『わが友ヒットラー』は三島由紀夫の1968年の戯曲で、1965年の『サド侯爵夫人』と対をなす作品として書かれたものです。ここには自決に向かってゆく晩年の三島がよく現れています。
新潮文庫の巻末に載っていますが、三島は1969年1月に書いた覚書で次のように書いています。

『わが友ヒットラー』は、アラン・ブロックの『アドルフ・ヒットラー』を読むうちに、1934年のレーム事件に甚だ興味をおぼえ、この本を材料にして組み立てた芝居である。(中略)
国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬというのは、政治的鉄則であるように思われる。そして一時的に中道政治を装って、国民を安心させて、一気にベルト・コンベアーに載せてしまうのである。何事にも無計画的、行きあたりばったりな日本は、左翼弾圧からはじめて、昭和11年の二・二六事件の処刑にいたるまで、極左極右を斬るのにほぼ十年を要した。それをヒットラーは一夜でやってのけたのである。

この覚書から、レーム事件と二・二六事件の相似に興味を持ったことが分かります。レーム事件では左翼の大物シュトラッサーも同時に処刑されました。三島によると「シュトラッサーは実際は酒豪で豪快な大男だったが、レームとの対照上、又、日本の現代の観客で彼を知る人の少ないことを計算に入れて、思い切って性格を改変した」とのことです。
第一幕でヒットラーはレームに話しかけます。

ヒットラー エルンスト、忌憚のないことを言わせてもらえば、お前の突撃隊は巨大なノスタルジヤの軍隊だとは云えないかね。
レーム それはどういう意味だ。
ヒットラー 三百万の兵隊は立派に政治的な集団だと云えるかね。かれらの生き甲斐はなつかしい「兵隊ごっこ」にあるとは云えないかね。

三島は覚書でも「レームに私はもっとも感情移入をして、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた」と書いていますが、突撃隊は言わば巨大な「楯の会」として描かれています。三島由紀夫はレームに自分を、ヒットラーに昭和天皇を重ねているように思われます。
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