今日は三島由紀夫の命日ですが、『ねじまき鳥クロニクル』が意外に面白いので続きを書きます。最後の第三部の中程まで読んだところで、まだ最終的な感想というわけにはいきませんが。
この作品では「井戸」(と言っても水が涸れた井戸で「深い穴」のイメージです)が重要なモチーフになっており、第一部『泥棒かささぎ編』では国境警備のモンゴル兵に捕まった間宮中尉がそこに飛び込みます。事実上の強制で、投げ込まれたようなものです。兵たちは小便をかけて立ち去ります。間宮は三日目に本田伍長に助けられますが、それまでの間、井戸の底まで日光が射し込む時(一日に十秒ほど)に死にたいほどの喜悦を感じ、死ぬべき時に死ねなかったという想いを抱いたまま長生きしました。
間宮からその話を聴いた主人公・岡田トオルは第二部『予言する鳥編』で、自分の家に近い涸れた井戸に縄梯子で降り、暗闇の中で多くの回想や夢(のようなもの)を体験しますが、近所の知り合いの女子高生・笠原メイに縄梯子を外されてしまいます。結局は別の女性に助けられますが、井戸から出てきたトオルの顔には不思議なアザ?が出来ていました。
第三部『鳥刺し男編』で、トオルは一層深く井戸に関わるようになります。トオルは去った妻のクミコを待ち続けますが、国会議員になった綿谷ノボル(クミコの兄)はトオルの行動を不審に思い、秘書の牛河を差し向けます。牛河もノボルも、トオルが井戸に何の用事があるのか、全く分からない・・
この「井戸」はドストエフスキーの「地下室」に当たるものでしょう。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』にも繋がり、「ひきこもりの文学」に位置づけてよいと思われます。
三島由紀夫は「俺は待った。もう待てぬ」と言って自決しましたが、岡田トオルは「待つべきときには待たねばならん」という本田老人(かつての本田伍長)の言葉を思い出します。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m