この本は講談社ブルーバックスでも私の愛読書です。数学や物理の多くの問題が興味深く扱われていますが、最後の「やや長めの後記」に重要な指摘が書かれています。
長沼氏は「天体力学の壮大なる盲点」「三体問題の不思議」と題して鋭く切り込みます。

天体力学において、扱う天体の数が2個、つまり地球と太陽、あるいは地球と月だけの「二体問題」を考えるならば、問題は完全に解けて天体の運行はきれいな関数で表現され、未来永劫いかなる時間の位置も完璧に知ることができる。
ところがそれに対し、地球・太陽・月の三つの天体の影響が絡み合う「三体問題」になるや、途端に問題は解けなくなってしまい、ニュートンから300年を経た努力の末にも、その天体の運行状態を示す解や関数はついに見つからなかったというのである。
たった三つでもう駄目とは一体どういうことだろうか。

私も子供の頃に天文学に魅せられましたが、日蝕や月蝕などの天体現象が秒単位まで予言出来るという神秘性が大きかったと思います。天体力学は三体問題も解けないのに、何故そんなことが出来るのでしょう? 長沼氏は種明かしをします。

考えてみると太陽系は多くの天体で構成されていて、本来それらの運動はすべての天体の引力が複雑に絡み合った、三体問題以上に複雑な多体問題として考えねばならない。つまり本来ならお手上げの問題のはずだが、太陽系の場合、一つの特殊事情があった。すなわちそこでは太陽の引力だけが突出して大きいため、他の惑星が発生する重力の影響はほとんどゼロと見なしても良かったのである。(中略)
そのため当時の知識人たちは誰も彼もがその壮大な調和に圧倒され、この手法こそ天体と言わず世界そのものを解き明かす究極の鍵であるとの確信ないし錯覚を抱いてしまったことはまず間違いない。
実際こんなものを目の前に突き付けられたとき、まさか天界の問題よりもむしろ卑近な地べたの人間社会などを解析するほうがよほど難しいなどとは当時の人々にはちょっと想像できないことではあったろう。
そのようにして彼らは太陽系の見せかけの調和に幻惑されて、この世界全体が一種の「調和的宇宙=ハーモニック・コスモス」であると錯覚するに至り、その後はもう天体と言わず社会全体にそれを無制限に拡大解釈して、片っぱしからその分割主義の適用を始めてしまったのである。

私も以前の投稿で「平衡3進法」に注目しましたが、「二」と「三」の間には大きな距離があるようです。長沼氏は提言します。

今後の数学の主力は、どうしても三体問題のあたりの時代に立ち返って、「部分の総和が全体に一致しない」という根本原理に沿う形の、もう一つの世界観を検討し直すことに軸足を移していかねばならず、数学にフロンティアがあるとすれば、もうそこしかないのである。

お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m