三島由紀夫は頭が良いと言われていましたが、数学や論理学に興味を持った形跡はなく、嫌いだったようです。彼は論理的な学問としては法律学をむしろ好んでいました。
これは私の父も同じです。父も数学嫌いで法律好きでした。父の一族の間には「法学部信仰」が広まっており、私も大学の法学部に行かせようとしていました。
前回に投稿した著書の中で、長沼伸一郎氏は次のように書いています。

どうも思うのだが、現代数学の勉強というのは、法律の勉強にかなり近いところがあるらしい。よく誤解されていることに、数学というのは論理を扱う学問だから論理的思考能力だけが必要とされ、一方法律というのは暗記ものだから記憶力ばかりが要求されるという通念があるが、いろいろな学問に接してみて思うのは、およそ現代数学以上に記憶力が要求される分野はないと言っていいのではないかということであり、実際、歴史学でもこんなに記憶力は要求されないのではないかとすら思える。これに対して、法律というのは必ずしも暗記一辺倒のものとも言えないもののようである。

この後に続く長沼氏の文章は辛辣で愉快です。

そしてこの両者に共通する特徴が一つあり、それはその内容が極度にわかりづらい、頭の痛くなるような言葉で記述されているという点である。法律の言葉というのは、ほんの簡単なことを言うのにも、難解この上ない表現を用いる。しかしこれは別に法律家の権威主義のためではない。法律というのは、あいまいな言葉で書いておくと、そのすきを狙った「合法的犯罪」が跋扈することになってしまう。そのためわかり易さは二の次にしても、そういうすきを見せないよう極度に厳密な表現をとらざるを得ないのである。

上に引用した長沼氏の文章は「連続」の表現方法を説明する箇所で出てきます。「連続」は「無限」と並んで多くの数学者を悩ませた魔物でした。この議論は三島が『豊饒の海』、特に『暁の寺』で取り組んだ唯識論に通じるものがあります。三島が数学に興味を持っていたらどうだったろう、と考えるところはあります。
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