平成がもうすぐ終わりますが、30年前に昭和が終わった時も、私は人生の岐路にありました。いま再び似たような状況を迎えていることに不思議な感慨があります。
1990年3月に漸く大学を卒業した後、4月に実家に戻ってしまいましたが、ぎりぎりまでどうするか決めかねていました。大学のカウンセリングは既に行かなくなっていましたが、久しぶりに行ってみたところ、初めての先生から就職先を紹介されました。確か大企業の子会社のコンピュータ会社だったと記憶しています。しかし不調に終わりました。
はっきり覚えていませんが、事務系と技術系のどちらを希望するのかと聞かれて「技術系」と答えたらしく、以後の面接でその前提で進んでいくのに違和感を覚え、「どちらでもいい」と言おうとしたら、明らかに言葉を遮られました。まあ、当然でしょうね。
帰郷した後も何をしようという気もなく、母親から言われるままに就職情報誌を買って会計事務所に行き、6月から採用されて9か月ほど続きました。会計など何の興味もないのに、よく続いたものです。翌年の1月に遂に限界が来て、朝に家を出た後、事務所を無断欠勤して新幹線に乗って東京に行きました。東京では大学時代の数少ない知人に会い、その知人の勧めに従って夜行列車で帰郷しました。私が出勤しなかったことで事務所から実家に電話がかかり、父親が謝りに行ったと聞かされました。
数日経って事務所に行きましたが、特に叱責はされず、3月15日の確定申告期限までは忙しいので働いてほしいと言われました。言われるままに働き、3月15日で辞めました。
以後の数年間はまた母親に言われるままに、簿記や税法の専門学校に通ったり、自動車学校に行ったりしました。自動車運転免許は結局取りましたが、取るまでが大変でした。最初に行ったところでは教官の態度が頭に来て、また黙って東京に行こうとしました。父親に連れ戻されましたが、その学校は辞めざるを得ず、別の学校に行きました。そこでも教官と喧嘩になりましたが、別の教官に代えてもらってようやく卒業しました。自動車学校の教官と言うのは、どうしてあんなにおかしいのでしょうか。
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