体調は完全には戻りませんが、だいぶ良くなりました。ブログを再開したいと思います。
私の古代史好きには、母の影響があることは確かです。母は学生時代は左翼運動に関わって「🎵白頭山の」で始まる金日成将軍の歌をよく歌っていました。もっとも「🎵紀元は二千六百年」の紀元節の歌も歌うので、よくわからないところがあります。
母が憧れたヒーローがジョン・ウェインと平将門です。平将門は10世紀の前半に反乱を起こした関東の豪族で、「新皇」を名乗り、天皇を中心とする日本国とは別の国を作ろうとしました。250年後に源頼朝が鎌倉に幕府を開きますが、頼朝はあくまでも天皇の臣下として「征夷大将軍」にとどまり、日本国を分裂させなかったのが決定的に違います。
そんな母も古代史で知らなかったことがあり、私が教えると相当驚いていました。第1代の「神武」天皇から第41代の「持統」天皇まで、日本書紀に書かれている漢字二字の諡号は後から書き加えられたもので、720年に完成した当時は書かれていなかったのです。神武は神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)、持統は高天原広野姫(たかまのはらひろのひめ)という和風諡号だけでした。漢字二字の漢風諡号を考えたのは淡海三船(おうみのみふね)という奈良時代の高級官僚です。以前にも取り上げましたが、三船は壬申の乱で敗れた大友皇子の曾孫で、漢詩を得意とし『懐風藻』の選者とも言われます。
このことは広辞苑にも載っており、一部の古代史マニアの説ではなく、広く真実と認められていますが、何故か積極的に教えられることはありません。その理由が母の反応から少しわかった気がしました。母は広辞苑で確認するとすぐに、わざわざ父に知らせに行ったのです。父は歴代天皇の名前を学校で暗記させられた世代ですが、母ほど驚いた様子はありませんでした。母は少し後で「あの話を知ってから、私の中で何かが崩れた」と言いました。
因みに私は、特にショックは受けませんでした。子供の頃に読んだ鈴木武樹の「日本古代史99の謎」という本で、天皇の漢風諡号は後世に追加されたものだという知識を得ていたからです。むしろ淡海三船という人物に興味が湧きました。
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