泉鏡花の『草迷宮』を読みました。明治41年(1908年)の作品ということで、文章の調子が面白いです。七五調を基本として散文とも韻文ともつかない、懐かしさが感じられます。まだ維新前の江戸の面影が濃く、伝統的な日本の庶民はこういう世界に住んでいたのかと思われます。
寺山修司は『手毬唄猟奇』というエッセイで『草迷宮』を取り上げ、この小説で重要な役割を果たす「手毬唄」について考察しているので、次にそれを引用してみます。

・・ここまで『草迷宮』を読んできて、私には思いあたるものがあった。このお化けや西瓜や満月は、まぎれもなく手毬の変容したものだが、ただの変容ではない。手毬には、もっともっと怖ろしいあることの比喩が隠されているに違いない。そして、無邪気な子供たちの手毬遊びは、その由来を知ってしまったあとでは、もう二度とできるものではないのだ、と。

寺山は続いて横溝正史の『悪魔の手毬唄』も取り上げ、「鬼首村」という架空の地名が付けられた理由は「手毬は生首のシンボル」だからだ、と言います。

エジプト時代に画かれた壁画に、古代エジプト人が、ボールを足で扱っている絵があって、そのボールの形がきわめてあいまいなものであったと言われている。曖昧なのは当然であって、蹴られていたのは人間の首(頭蓋骨)だったのだ。死んだ兵隊を片づけるのに、足で蹴りころがしていったら、頭蓋骨だけが外れてころころと転がった。
兵隊たちは面白がって、その頭蓋骨を蹴りくらべし、それが蹴毬のはじまりとなった。(中略)勝利者の、こうした荒々しい蹴りくらべが、ヨーロッパでは集団化して規則を複雑にし、わが国では、家の翳の内で、単独交代する単純な遊びになっていった経緯には、綜合化と純粋化と言ってしまえない何かがあるような気がする。

寺山はこの「経緯」を端的に表現しています。

ティーン人の首を自分の故郷の外へ蹴り出すサッカー愛国主義とちがって、肉親の首を自分の家の廂の下で、できるだけ長いあいだ愛撫しつづけようとする、愛怨の葛藤をこめた家族主義が手毬唄の特色なのである。

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