1948年(昭和23年)から49年にかけて、東大生の山崎晃嗣らが起こした「光クラブ事件」は世間を騒がせました。金融業で一度は大成功したものの、巨額の債務を履行できなくなった山崎は1949年11月24日、青酸カリを飲んで自殺しました。
三島由紀夫はこの事件をモデルにした小説『青の時代』を書いています。また二人は同時期に東大法学部におり、保坂正康は二人が友人だったのではないかと推測しています。三島事件は1970年(昭和45年)11月25日に起きていて、山崎の命日とは一日違いです。
一日違いといえば、『豊饒の海』での飯沼勲と本多透も思い出されます。『奔馬』の飯沼勲は1933年(昭和8年)12月29日に蔵原武介を暗殺して割腹自殺し、『天人五衰』の本多透は1974年(昭和49年)12月28日にメタノールを飲んで自殺を図り、生き延びるも失明します。
三島が何故11月25日に死んだのかは様々な説がありますが、このような解釈も可能かもしれません。
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